密林の真ん中から出会いと別れ、そしてバンコクへ。
大脱出
ヒッチハイクに挑戦し始めてから20分が経過した。その間、英語で声をかけたりもしてみたが、通じることは無かった。一向に状況は変わらず、飛行機の時間も迫る中、未だに私はカオヤイ国立公園の中心部にいた。
ここから脱出する、ビジョンが全く思い浮かばないまま時間が過ぎ、私の心は折れに折れて折り紙アートを形成していた。
ようやく心優しきファミリーが立ち止まってくれ、ピックアップトラックの荷台に乗せてくれた時には、私のお礼の声は喜びに打ち震えていた。
大きなピックアップトラックの荷台に乗り、雄大な自然の空気を心行くまで吸い込んだ。
来た時と同じ道を30分ほどかけて戻っていく。いつか車をレンタルして再訪したい。
ビジターセンターから30分ほどかけて、カオヤイ側のゲートまで戻ってきた。
ゲートの手前で荷台から降り、乗せてくれたドライバー家族に何度も頭を下げ、私は徒歩でゲートを通過した。時刻は12時半。ここまで来られたらあとは安心だ。ここからは乗り合いバスでパクチョンに戻り、パクチョンからバンコクに戻る。
ところが、10分待っても、20分待ってもバスは来る気配を見せなかった。付近の地元の人に聞いても、ゲートの近くで待っていろと言われるばかりだった。パクチョン-カオヤイ間のバスの本数はもともと多くないのかもしれない。
再び私は移動もできず取り残されることになった。下手に動いて、その間にバスが来てしまったらさらにもう一便分の時間を待たなければならないので、今度は気も抜けなかった。
しばらく道路に目を光らせていると、カオヤイの路上でポツンとたたずんでいる一人の日本人に同情したのか、近くにいたカッコいいバイクの持ち主が
“俺がパクチョンまで送ったろか?”
と話しかけてきた(もちろん英語で)。最初は少し警戒したが、彼の装備やバイクからお金には困っておらず、余裕のありそうな感じが伝わってきた。異国の地で見知らぬ人についていくのはご法度なのだが、ここにいてもバスは来ないし、帰りの時間も迫っているのでご厚意に甘えさせてもらった。
国立公園のゲートからしばらく進むとカオヤイの町を通り過ぎた。ここまでくれば発展している。
彼の名前はヴォンと言った。彼はタイの人間だが、海外旅行にもよく行くらしく、日本には東京、大阪と2回来たと言っていた。日本のアニメが好きだと言っていたので、カオヤイのゲートで困っていた私のことを助けてくれたのかもしれない。バイクでは日本の話やこれまでの旅の話、ラオスとタイの違いなどの話でひとしきり盛り上がった。
彼は飛ばし屋で、バイクにも関わらず80km/hは出ていたと思う。高級そうないいバイクで、揺れも少なく爽快だった。そのおかげもあってか、行きはバスで1時間以上掛かったカオヤイからパクチョンへは、30分くらいでついてしまった。パクチョンのバスターミナルでバイクが止まり、私たちは路上に降り立った。
いいバイクだから1枚撮らせてくれと、ヴォンとバイクの写真を撮った。
彼も、旅の記念にツーショットを、とお互いに写真を取り合った。しばらくヴォンと談笑したい気分でもあったのだが、私はバンコクに帰る、という使命に追われていた。また、日本のどこかで合おうと軽い約束をして、固い握手をした。生きていればいずれどこかでまた会える、そんな予感がした。
バンコクへ
ヴォンと別れ、パクチョンの小さなバスターミナルでバンコク行きミニバンのチケットを購入した。料金は200バーツだった。バスターミナルにいたおばちゃん二人組が、今からあんたの出身国を当てるわね!!とキャッキャしながら絡んできた。暇だし、少し付き合ってやるか、と彼女らの方に向き直ると、おばちゃん達は私の顔を覗き込み、しばらく悩んだ後で、
う~ん、シンガポール!!
と高らかに宣言した。
ミニバンはほどなくしてターミナルの前にやってきた。乗り込んだのは4,5人で、バス内はかなり空いていて快適だった。何度か止まって乗り降りを繰り返したが、13時半にパクチョンを出発したバスは順調にバンコクに近づいているのが分かった。
ミニバンはタイの大きな通りを爆走して着実にバンコクとの距離を縮めていた。
バンコクに近づくにつれて街の景色も都会風に様変わりしてきた。派手で奇抜な高い建物が増え、街を歩く人の数も増えてきた。無事に帰れるという安心感と共に寂しさがこみ上げてきた。
波乱万丈で、退屈な日が一日たりとも無かった世界遺産巡りの旅が終わり、また日常の繰り返しが始まる。少しでも旅の思い出を目に焼き付けておこうと、私は車の窓ガラスに張り付いて外を眺め続けた。
私の計算よりも早い、16時半にタイ北部のモーチット・バスターミナルに到着した。
ここでミニバン内の全員が降りたので、おそらくここが終点だったのだろう。バンコクはこの旅で訪れたどの町よりも都会的で、この日が土曜日だからか、人の数も圧倒的に多かった。
モーチットには地下鉄もモノレールも通っている。ここまでくれば、後は自由だ。
地下鉄では窓の外の景色が見えないので、モノレールを使ってバンコク中心部へ移動した。
君の瞳に乾杯 【最終話】
すでに魅力的な世界遺産の旅を終えた私にとって、バンコクは魅力的な街ではなく、観光しようという気力もなかった。モノレールでパヤータイに到着した私はその周辺を歩き回って“旅の終わり”を見つけることにした。
パヤータイはエアポートレイルの始発なので、ここから乗ればスワンナプーム国際空港まで行ける。
高架下ではタクシーもバスも車もバイクも並び、渋滞を引き起こしていた。
パヤータイは国鉄も横切る交通の要所であり、あわただしく人が移動していく。
屋台もあり、コンビニもあり、ショッピングモールもあり、高層ビルもあり、急成長を遂げた東南アジアの大都市・バンコクには文字通り何でもあった。ただ、“旅の終わり”だけが無かった。
ショッピングモールで涼んでから外に出ると、急なスコールが襲い掛かってきた。熱気を帯びて火照ったバンコクの町は冷水を浴び、一瞬の後に静まり返った。私は一軒の昔ながらの飲食店に駆け込むと、遅い昼ご飯と、瓶ビールを注文した。
瓶ビールを頼んだら想像の3倍くらい大きい方の瓶が出てきてしまった。
旅の疲れを癒すように、思い出をかみしめるように、黄色いガソリンを腹に流し込むと、さすがに少し酔いが回ってきた。支払いを済ませてすっかり暗くなった夜のバンコクに踏み出すと、足取りは左右に振れ、なんだか楽しくなってきた。
高架下に沿って北へと歩き続けると、大きく開けた場所に着いた。戦勝記念塔という場所らしい。Victory monumentという、カッコいい英語の響きが気に入った。フランス軍を打ち破った1941年に建てられたものだという。
すっかり暗くなったバンコクの天を衝く、ビクトリーモニュメント。
その対岸では、バンコクの中心部だというのに何故かタイ料理フェスティバルが開かれていた。先ほどのスコールにも負けない屋台の熱気が漂っていた。
盛大な屋台村が築かれ、タイ風の音楽が爆音で流れている。
売れていなさそうなタイのバンドがステージで熱唱し、その向かいには将棋のようなボードゲーム(マークルックと言うらしい)を路面に広げ、真剣勝負に打ち込むおじさまたちがいた。タイのど真ん中でタイ料理フェスティバルという、東南アジアらしいカオスな空間を発見した私は、ぼやけた思考の中で、ここだ、と思った。
このカオスな空間こそが“旅の終わり”なのだ。気のすむまでタイ料理を食らい、浴びるほどにビールを飲もう。ほっと胸をなでおろすと、これまで旅の途中で出会ってきた人たちの顔が思い浮かんできた。
プノンペンのシナトは今日も元気に客を運んでいるだろうか。遺跡のシンは、子供が生まれたばかりのチャン、チャンパーサックのハイちゃんは元気だろうか。国境を一緒に越えたサウジの青年、そして、一夜を共にしたポーンサワンの占い女は無事目的地にいるのだろうか。カオヤイ国立公園のヒッチハイク3人組、そして、ヴォンは今何をしているのだろう。
旅で出会った一癖も二癖もある彼らとの出会いを思い出しながら、バンコクの夜空にそびえ立つ戦勝記念塔にビールを掲げ、乾杯をした。
終わり。
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