オマーンのマスカットからスールへ。 【エジプトとアラビア半島】 旅行記5日目

オマーンのマスカットからスールへ。

5日目。23か国目、オマーンの世界遺産を巡る。

マスカットのバス停で

オマーンには世界遺産が5か所、取り消された世界遺産が1か所存在する。全部を巡りたい心境ではあったが、オマーンの交通事情が壊滅的である点、世界遺産が各所に散らばっている点から、それは無理であることがのちに分かった。

このオマーンと言う国も中東の中では割と未知の国で、世界遺産に関する日本語の情報は非常に少ない。行き方の掲載が無い世界遺産すら存在していて、この日訪れる予定の”カルハットの都市遺跡“もその一つだった。

マスカットから海岸沿いをひたすら東に進んだカルハットと言う小都市にある遺構で、バスは1日2本しか出ていないという所までは事前に分かっていた。

とりあえず、まずはマスカットのバスターミナルでの情報収集からだ。昨晩オマーンへの入国を果たした私は、バーレーンで体力を使い果たしへとへとの状態だったのか、ホテルを出たのは9時を過ぎたころだった。

一歩外に出ると強烈な暑さが覆いかぶさってくる。

バスターミナルは安宿から近い位置にあり、徒歩5分で到着した。

チケットオフィスでカルハットに向かうバスを訪ねた。

オマーンの首都にしてはやけに小さな、小屋のような待合所には受付カウンターが1レーンだけ構えていた。その列に並んでスール方面へ向かうバスの時刻を聞くと、12時だという。現在の時刻は9時半だったので、2時間半、マスカットで待つことになる。

風邪で体調も良くないし、疲れて動く気力もなかったので、その小さな小屋の長椅子に腰かけ、うとうとしながら時間が過ぎるのを待つことにした。

しばらくの間は人間観察に興じていた。オマーンでは本当にバスを使う人が少なく、乗客がまばらであることに気が付いた。本数も少なく、ほとんどの人は車を使うようだった。そのため、旅人もレンタカーを使うのが主流のようだ。

私のような酔狂な旅人は珍しいらしく、清掃員の若者と話して気を紛らわせているうちに、少し仲良くなった。11:30頃、もう一度カウンターに向かうと、スール行きのバスは14:30だったという。予約ができるそうなのでチケットを購入し、私は重い腰を上げて少しマスカットを散策することにした。

カルハットを越えて行け

相変わらず苦しいほどの暑さなうえに、バスターミナル周辺は何もなかった。スーパーも無くご飯屋も見当たらず、高級車のカーディーラーだけがでかでかと横たわっている。

歩道橋の上からマスカットを見下ろす。走り心地がよさそうな広い道路だ。

遠くまで見渡すと、視界の端に一件の料理屋を見つけた。イラン系の料理屋だった。ここオマーンを含む中東はもちろん豊かな資源を持つ豊かな国なのだが、それゆえ働き口を求めてイランなど海を越えた先から渡って来る労働者も多い。

ここは、そんな労働者階級に向けた、安くて庶民的な店だった。

お腹にたまるヘビーな昼ご飯。これで、長距離移動の準備はできた。

ご飯を食べた後も少しマスカットの町をうろうろしたが、バスターミナル近辺は何もなく、やはり車が無いと観光のしようが無いので、バスターミナルに戻って清掃員の男と食べることにした。

時刻通りに着たバスには10人程が乗り込んだ。ようやく移動開始となる。

ドライバーは陽気な男で、旅人のような様相の私と、もう一人の白人の青年ルイスを見つけ、フランクに絡んできた。異国の地でこのような軽いノリは嫌いではないが、どこか不安な予感がした。

中東のバスはどの国も清潔感があって快適な感じがする。

バスはマスカット市内を出てからもバス停ごとに止まり続けるので時間がかかった。

マスカットを離れると車窓は何もない岩肌と高い山々の山脈が目立つようになってきた。UAEやバーレーンと異なり、オマーンには高い山が多いという特徴がある。植物が育たない暑い国の環境もあって、まるでゲームの世界のような、荒廃した景観が見られるのである。

緑の少ない岩肌には送電線が網のように張り巡らされている。

大きなバスはやや浅い川をものともせずにそのまま渡った。

車窓はしばらく荒廃した世界が続いた。マスカットから東に進むと家も少なくなり左側には海が、右側には荒野が続く景観が続いていた。

ゲームの世界のような岩山には送電線のみが寂しく建っている。

マスカットを出てすでに3時間が経過していた。バスは見事な快走を見せていたが、いい加減代わり映えの無い景色にも飽きてきた。そんな折、小さな村のような場所が見えてきたところでドライバーはバスを停めると、大荷物の青年ルイスはそこで降りた。彼は日の暮れかかり、薄暗い脇道の方に大きな荷物を揺らしながら消えていった。

そこからドライバーは吹っ切れたようにバスを飛ばし、スールを目指した。カルハットで降りたいと言った私の存在は、おそらくここで彼の頭から飛んでしまったのだと思う。

GPSはカルハットの近くを指し、目を見やると窓の外に世界遺産のカルハットの遺跡跡が映った。私はドライバーに止めてもらうよう言おうとしたが、高速道路上で思ったよりスピードが出ており、彼は軽い性格で急ブレーキをかけかねないと思い、あきらめて見送ることにした。また帰りに寄れればそれでいい。

もう一つ、カルハットをあえて見送ったのには理由があった。カルハットは思ったよりも小さな村で、宿泊できそうな場所がなさそうだったのだ。終点のスールが大きな街で比較的宿も多いのは分かっていたが、カルハットは情報が無く、どうやって一夜を過ごそうか決めかねていた。

このままスールへ向かおう。小高い丘の上に建つカルハットの都市遺跡は、闇に飲まれて遠くなっていった。この日は移動だけで一日が終わってしまうが、そういう日があってもいいだろう。

バスは着々とスールへの距離を縮めていた。しばらくすると、日も暮れた。

海風の香る街

街灯が煌々と照らす高速道路の他は何もない景観がまた続いた。車窓はすっかり暗くなり、バス内の自分の顔を反射するようになってしまったので、私はあきらめてスマホでスールの宿を探し始めた。

前方に明るい街の光が見え始め、乗客たちがもぞもぞと降りる準備を始めた。

スールに着いたのはどっぷりと日が暮れた20時に近い時間だった。

スールはオマーン東部の中心となる大きな都市であり、カルハットとは比べ物にならないほど栄えている。”栄えている”というのはあくまでオマーンの地方都市としては、という意味だ。

所々に人が行き交い、大きな通りは車が行き交っている。海に近いためほんのりと潮の香りもする。こういう、あまり日本人が行かなさそうな都市に、私は凄くワクワクするのだ。

スールの安宿はすぐに見つかった。一応由緒ある大きなリゾートホテルのようなのだが、今はシーズンオフのためかガラガラで、着いてからチェックアウトまで他の人の気配すら感じなかった。

荷物を置き少し整理すると、私はさっそく街に繰り出した。エジプトでもらった風邪も、今日一日ほとんど何もしなかったためか、かなり快方に向かっているようだった。

暗くて人気も多くないので、街歩きは少し怖かった。

店ももう閉店しだしているころで、私はあわてて一見のケバブ屋に飛び込んだ。疲れ切った体には肉が一番染み渡る。観光客が来ることは珍しいのだろうか、店内の皆が興味津々に私を見ているのを感じた。

店を出ると何か面白そうな場所は無いかと探したが、スールの町はもう眠りに就こうとしているようだった。煌々と光るスーパーマーケットの他は、すでにシャッターが下ろされた店ばかりである。このスーパーに駆け込んでいくのも、今日最後の買い物を済ませ、帰路につきたいというような人ばかりだった。

スールの町を明るく照らすのは、ひときわ目立つこのスーパーマーケットだ。

中に入っては見たものの、中東価格というか、海外価格というべきなのか、これは安い!と思えるものは無かった。責めるべきは円安なのかもしれないが。

ドン・キホーテのように無秩序に並べられたスーパーの陳列を眺めて時間をつぶしていたが、これ以上面白い発見もなさそうだ。

これまでカイロ→ドバイ→アルアイン→アブダビ→バーレーン→マスカットとせわしなく動き続けてきたので、オマーンでの1日はいい休養になった。まだまだ続く中東旅後半戦に向けて、ホテルに戻りしっかりと睡眠をとることにした。

 

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