破産したソリヤバスでプノンペンからラオスのパークセーに行く
闇バス
前日21時に横になった私は6時半に自然と目が覚めた。この旅では背中に背負うリュック一つ分の荷物しか持ってきておらず、身軽な私が身支度を済ませて宿を出たのはまだ7時前だった。
目を覚ますとそこは非日常の世界が広がっている。旅の醍醐味だ。
この日の予定はここ、カンボジアの首都、プノンペンからバスで北上し、ラオス南部の大都市、パークセーに行く、ということだった。プノンペンからパークセーへは1日1本、ソリヤバスという会社からバスが出ている、はずだった。
しかしながら前日調べたところによると、まだ新しい英語の口コミに不穏なことが書かれていた。
ソリヤバスはコロナ禍で利用者が激減した際にとっくに破産しており、今はその屋号を使った何者かが運行を維持している、というものだ。ソリヤバスはカンボジアでも大手のバス会社で、地方都市を結ぶ交通の要であった。これがなくなってしまうと困る地方の住人も非常に多い。
そのため、バス会社としては無くなってしまったが、元現場の人間が勝手に名前を使って運航を続けているようだった。非正規のバス、いわゆる闇バスというやつだ。会社が存在しないため、たびたびトラブルを引き起こしており、破産以降口コミの評価は低下の一途をたどっている。
まずは適当なトライクルを拾い、ソリヤバスのバス乗り場に向かった。1ドルだと露骨に嫌な顔をされたので2ドルを支払った。最近は物価の高騰、ガソリン代の高騰でカンボジアも大変なのだろう。
ここが問題のソリヤバスのターミナル。セントラルマーケットの南西にある。
7時10分くらいに着いた全く人気の無いターミナルには、テーブルにスーツを着た女性とスタッフのような作業着の男がいるのみだった。パークセーに行きたいというと、今日は7時45分発の1本だよ、と言われた。そのまま普通にチケットを購入することができた。値段は45ドル。事前情報の60ドルより全然安かった。
チケット用紙もソリヤバスのもの。果たして無事にパークセーまで行けるのだろうか。
出発まで少し時間があったので、近くのマーケットで食料を買い込んでおくことにした。ラオスまでは1日がかりの長旅だったし、もうこれでカンボジアを離れることになるから、少しでも街の様子を見ておきたかった。
この日は日曜日だが、マーケットは早朝からにぎわっていた。
カンボジアには海があるので海産物などもここに集まっていた。
一番真ん中は高級品売り場のようだった。腕時計や宝石が並ぶドーム状の建物。
時間をつぶしながら途中での食べ物や飲み物を買いため、バスターミナルに戻った。相変わらず客はいなかった。発車時刻の7時45分になっても何の動きもなかったが、30分後の8時15分になると突然2台の乗合バンが現れ、出発することになった。
このバンでプノンペンからカンボジアの大地をひたすら北上していく。
石油王と旅の仲間
バンに乗ったのはドライバーと現地人らしき女性が一人、若い男性が1人。私を含めると4人だった。少しプノンペン市内を走ったバスは小さな旅行代理店の前で一度止まった。
そこで白人の男女ともう一人若いアジア系の男、そしてスタッフが乗り込み私を含めた合計8人で出発した。プノンペンを出るとガソリンスタンドで一度トイレ休憩があった。
8人の旅の仲間と共に国境を目指す。車内は特に会話は無かった。
プノンペンを出るとバンは猛スピードで走っていく。1時間ほど走ったところで通過した小さな町で、現地人らしき女性が下り、旅の仲間は7人になった。
このメコン川に沿うような形でカンボジアを北上していく。
名も知らない小さな町をいくつも通り過ぎていく。
GPSを見る限り、車はちゃんと国境の方向に向かっているようだった。前日にちゃんと寝られたので眠くはなかったが、これからの長旅と国境通過に備えて体力を温存することにした。
11時半過ぎ、出発から3時間が経過したころ、一度昼休憩があった。白人の青年はバンから降りず、私はトイレに立った。白人の女性とアジア人の男は屋台で軽い昼食を取り、ドライバーとスタッフ、現地の人たちはレストランで食事をとっていた。
さらに2時間、車内には疲労の空気が漂いつつあったが、メコン川沿いの街クラッヘに到着した。ここで白人の女性とアジア系の男が大荷物と共に下りたが、もう一人の白人の男は降りなかった。
この白人男は名前を聞きそびれたが、サウジアラビア出身ということだった。長いことアジアを旅してきており、台湾に行った後日本にも行くと言っていた。彼はおしゃれな柄シャツを着こなしており、石油王には見えなかった。途中で豪遊しているそぶりもなかったし、こんなワイルドな貧乏旅を共にしているので少し親近感がわいた。
旅の仲間はクラッヘで2人減り、5人を乗せた車はさらに北へ進む。
道はだんだんと悪路になっていき、風景もどこまでも草原が広がるのみになっていった。クラッヘからさらに2時間で国境に近い街、スタントランに着いた。
ここで、観光客に人気のアンコールワットがある、シェムリアップから来たバンと合流した。韓国人のカップルや白人カップル、女性が一人、男が一人乗り、車内は急ににぎやかになった。
旅の仲間が増えたので国境越えが少し安心になった。
しばらく進むと道は本当に殺風景な場所を突き進み、さらには雨が降ってきた。
カンボジアとラオスの国境線上を車は走っている。
スタントランから1時間ほど経過したころ、ようやくバンはスピードを緩め、停車した。
国境にて
ドライバーとバンはここで引き返すのだそうだ。ここからは歩いて進む。
バンから荷物を引きずり下ろし、仲間と共にイミグレーションへ向かう。
正面に鎮座する立派な建物がカンボジア側の出入国管理局だ。
ここを越える旅人はこの時間に来るバン1便だけなのか、皆暇そうだった。
ここから先は撮影禁止。カンボジアの出国手続きを済ませる。
館内では特に面白いことは起こらなかった。窓口が3つあり、我々は順番に並んでパスポートにスタンプを押してもらうだけだった。ここは悪名高い国境で、ワイロを要求されることが多いとうわさされていたが、誰もワイロは請求されなかった。手荷物検査もなかった。
建物を出て奥へ進んで行く。振り返るとカンボジアの出入国管理局が遠くに見える。
徒歩でゲートを越え、自分でラオス側まで歩いていく。
カンボジアらしい、ナーガとシンハがモチーフのモニュメント。
100mほど歩くとラオス側の出入国管理局の建物が見えた。なぜかその手前で牧牛の群れに遭遇し、牛たちと共に国境を越えてラオスに入ることになった。
牛の群れについてラオスに入国。こんな国境越えは初めての経験だった。
ここから先はラオス。訪れたことがない初めての国だった。
ラオス側のイミグレーションではいろいろあり、全員通過するのにかなり時間を取られた。まず、観光目的であっても入国にアライバルビザを取得する必要のある人が大半だった。日本人は必要がないので楽だったが、記入する用紙の項目が多く、面倒だった。
さらに、ラオス側で入国スタンプを押してもらうためにパスポートを預けると、ギブミーマネー!とワイロを要求された。パスポートを人質に金をせびろうという魂胆だった。口コミでワイロの要求が多いことは知っていたが、実際にされると少し焦った。
要求額は2ドルだったので、もう使わないカンボジア・リエルを渡して事なきを得た。ワイロを渡した瞬間にそいつは急に態度を変え、パスポートの写真、クールだね!とおだててきたが、こちらはあきれるばかりだった。
全員が無事ラオスに入国するまで1時間はかかったと思う。日本人の私と韓国人のカップルはビザがいらないので早く通過したが、サウジの彼を含む他の人たちはそこそこ苦戦していた。どうやら全員、2ドルを請求されたようだった。
とにかく、ラオスへの入国を無事に果たした。時刻は17時半。プノンペン出発から9時間が経過していた。
少し進んだ先でもう一台のバンに乗り換えた。行先がここで別れるらしかった。乗り換えたバンにはすでに一人、いかにも旅人という風格の男が乗っていた。そのパークセー行きのバンには私と、サウジの青年、白人のおばさんと韓国人のカップルが乗った。
何もない農道で乗換え。国境超えた仲間はちょうど半分に分かれた。
ラオスの国境付近の街はメコン川沿いにウォーターアクティビティや川イルカの観察ツアーなど見どころも多い。もう一台のバンはそれを目的にする人たちを乗せ、去っていった。
カンボジアよりも殺風景なラオスの道。我々はパークセーを目指し北上する。
このラオスのドライバーは命の危険を感じるほどの超飛ばし屋だった。120km/hは超えているかと思われるスピードで小さなラオスの農道を爆進していくので、思わずシートベルトを締め、手すりを握りしめた。
伝わるかはわからないが疾走感あふれる写真。車窓を楽しむ余裕はなかった。
だんだんと日が暮れ、真っ暗になった。途中で激しい雨に降られても車はスピードをほとんど緩めなかった。国境から2時間が経過したところで、前方に光り輝く大きな街が見えてきた。ラオス第三の都市、パークセーだ。
プノンペンを出発してから11時間が経過。半日近い長い旅だった。
いろいろありすぎる1日だったがとにかく無事パークセーに着いた。
旅の仲間はそれぞれのホテルを目指して散り散りになっていった。私は近くのATMでラオス・キープを降ろし、目についた安宿に腰を落ち着けた。
パークセー最大の寺院、ワット・ルアン。夜見ても美しい。
時刻は20時になろうとしていたが、もう街の店はほとんどが開いていなかった。大通りに面した店もレストランが2件とコンビニが1件、電気をつけているのみだった。私はそのうちの1件のレストランに入り、注文した。
カレーライスとラオスビール。無事にラオスに入国したお祝いだ。
パークセーは観光客向けのホテルが多く開いている他は夜の見どころはなかった。店は開いていないし、大通りですら街灯が暗めなので宿に引き返した。
翌日はここから車で1時間の世界遺産、チャンパーサックの文化的景観を訪問する。
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