フェラーリ・ワールドのいかついジェットコースターと、バーレーンの夜
3日目、アラビア半島での冒険、中盤。
犯人はヤス
瀕死の状態でモスクの観光を終えた私は、飛行機の時間を再度確認した。もう一か所ちょっとだけ寄れる時間がありそうな、絶妙な時間だった。
アブダビについて何も知らない私でも、知っていることが一つあった。ここには、世界一速いジェットコースター、フォーミュラ・ロッサがあるのだ。富士急も、ナガシマスパーランドもファンの絶叫マニアでもある私が行かない手はない。
フェラーリ・ワールド・アブダビやユニバーサルスタジオなど、エンタメ施設があるヤス島は幸いにも空港の近くだった。ここで遊んで空港に行けば、問題なさそうだ。
モスクからヤス島までは良い具合にバスが出ておらず、一度バスターミナルに戻るハメになった。かなりの時間ロスになってしまった。
アブダビの循環バスは102番。時計回りしかないみたいだ。
アブダビの入江をぐるっとほぼ一周することになってしまい、予想外に時間がかかった。ヤス島に着く頃には、ほとんどフェラーリ・ワールド・アブダビに滞在する時間が無くなってしまっていた。
相変わらず体調は悪く、バス内でも眠気は止まらなかった。
それでも遊園地に近づくと大きなジェットコースターのレールが見えてきて、テンションが急上昇した。
ヤス島の真ん中で我々10人程の観光客を吐き出すと、バスは走り去った。
入り口はバス停の前にある、大きなモールと直結している。
ワクワクしながらチケット売り場で説明を聞くと、世界一速いジェットコースター、“フォーミュラ・ロッサ”は運休中で再開時期は未定との案内だった。
ちなみに2024年8月現在も動いておらず、再開も未定である。
興味の半分くらいは持って行かれたが、それでもせっかく来たわけだし、下見がてら入ることにした。
持ち込み条件が非常に厳しく、飲食物が一切認められていないほか、カメラ、GoProも不可だった。エジプトの飲食土産を大量に所持していた私は、ほとんどの荷物やカメラなどをロッカーにぶち込んだ。
ほぼ身軽になった私は、ようやくフェラーリ・ワールドに入場した。
すべてがFになる
フェラーリワールドは世界的に見てもハードな3つのジェットコースターがある。世界最速の”フォーミュラ・ロッサ“、オーソドックスな巻き上げ式コースター”フライング・エース“、そして加速式の”GTチャレンジ“である。
この日は運の悪いことに、フォーミュラ・ロッサが動いていないばかりか、フライング・エースも運休だった。それでも入園料は2万円近くするのだから、おそるべし、アブダビである。
園内はというと、全てがフェラーリだった。テーマとしてはフェラーリのあるイタリアで、ヨーロッパの街並みや、ピザ、パスタなどイタリアンレストランが目立つ室内施設である。人影はまばらで、スタッフの方が人数が多く感じた。
飛行機の時間を加味すると、結局滞在は1時間くらいしかできなかった。コスパ的に考えると最悪になってしまうのだが、ジェットコースターは好きだし、次来るときの下見、経験と思うことにした。
園内をゆっくりと歩き回り、唯一動いているGTチャレンジに向かった。
このジェットコースターも日本なら1,2時間は待ちそうなクオリティの高いものであったが、ここでは待ち時間なしで乗ることができた。
待ち時間なしで何度も乗ったジェットコースター。
ハードなコースターではないが、アラビアの砂漠の広い土地をふんだんに使った長いコースで、加速が7回あるため失速することなく駆け抜ける。
体調が悪いのも忘れて一人で死ぬほど乗りつぶし、満足したところで退園し、タクシーを捕まえて空港に向かった。
バーレーン行きの飛行機が少し遅れたため、空港内で最も良心的な値段のバーガーキングで少し食事することにした。
普通のバーガーセットが日本円換算で一食なんと1800円。
最後までアラブの洗礼を受け続け、わたしは新天地へ飛び立った。
マナーマの熱帯夜
バーレーンはペルシャ湾に浮かぶ島国で、国土面積は780平方メートルと世界的に見ても小さな国である。
歴史的・地理的に見ると非常に重要な役割を担っており、古代インダス文明とメソポタミア文明の中間地点にあることから、交易の中継地点として繁栄した。その時代であるディルムン文明時代の遺跡が世界遺産に登録されている。
また、バーレーンは古くから真珠の自然産出地でもあり、特に19世紀から20世紀にかけてバーレーン産の真珠が世界中で注目を集めた他、石油産出によっても経済が支えられている豊かな国である。
夜に着いたバーレーンの空港は清潔感があり、きれいだった。入国にはVISAが必要だったり、ahamoの対象外だったりして、他の中東諸国と比較すると、ちょっとミステリアスな雰囲気がある。
タクシーの車窓からは首都マナーマのビル群が見える。
タクシーのドライバーはテニスが好きらしく、私が日本人だとわかると、しきりにニシコリ、ニシコリと連呼した。マナーマの中心部に取った安宿は、安いながらもドアボーイがいるほど高級感があった。
宿の周りは様々な店が並んでおり、ファーストフードなども一通りそろっている。
すっかり夜という時間だったが、せっかく新しい国に来たので、夜のマナーマを練り歩くことにした。正直、これまで生きてきて”バーレーン”という国に興味を抱いたことはなかった。だが、こうして世界遺産巡りで訪れることになった。これも何かの縁である。
大都市の中心と言うことでモダンな雰囲気で、栄えている印象だった。
ひときわ賑わっている大きな通りに、バザールがあった。雑多なものが売られているのだが、イスラム諸国のメディナのようなカオスではなく、整然としてい居てどこか高級感もあった。
マナーマのバザール。歩いている人も優雅な雰囲気を感じる。
出店もおしゃれな雰囲気で、私は少し肩身の狭い感じがした。
高級感のある通りを何を買うでもなくぶらぶらと歩くと、風邪の影響か、こんどは鼻水が悪化してきたようだった。近くのスーパーで適当に食べ物とティッシュを買うと、慌てて宿に逃げ帰った。
そうして、マナーマの暑い夜は更けていった。
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