バーレーンの世界遺産巡り、ディルムン文明の遺構
4日目、舞台は中東の小国、バーレーンへ。
小さな島国、バーレーンには3か所の世界遺産が点在する。バーレーンバス(英語HP)
マナーマの朝
22か国目、バーレーンでの朝を迎えた。料金のわりに非常に居心地の良い快適なホテルで、バイキング形式の朝食まで付いていた。貧乏旅行者にとってはありがたい食事で、気のすむまで料理を平らげバーレーンの街に繰り出した。
奇抜な高層ビル群に囲まれたすがすがしい朝。かすかに潮のにおいが香る。
10分ほど歩くとマナーマの中央バスターミナルに着いた。
バーレーンは小さな島国で、南側はほぼ砂漠地帯であるため、都市としての機能はほぼ北側半分に集中している。世界遺産は3か所で、マナーマ郊外に“バーレーン要塞”、島の中央付近に“ディルムンの墳墓群”、そして空港の近くに“真珠採り、島の経済を物語るもの”という構成資産がある。
バーレーンはマナーマを中心にバスが発達していて、ほとんどの場所を網羅していた。しばらく路線図とにらめっこをしていた私は、とりあえずマナーマから一番近くにある、バーレーン要塞から巡ることにした。
循環バスを待っていたのだが10分待っても20分待っても来なかった。バスターミナルに群がるタクシードライバーたちに“お前は、まだ待ってんのかよ!?”という調子で絡まれ続けた。首から下げた一眼レフとGoProに、“ブロガーか、アドレス教えてくれよ!”と言われる始末だった。
なかなかバーレーンに来る日本人というのは少ないのかもしれない。ずいぶんと人懐っこいバーレーン人が多い気がする。待っていても解決しないので、とりあえずタクシーでバーレーン要塞に行ってみることにした。
島国だからか、古くから真珠で栄えたからかはわからないが、バーレーンの街は海をモチーフとした看板や装飾が多いような気がした。ほのかに香る海風の香りが、まだ寝足りない私の目を覚まさせてくれた。
車で10分、海岸沿いに遺跡の入り口がある。
門を通って荒れ地を歩いていくと、目の前に大きな砦が見えた。
バーレーン要塞
バーレーン要塞は紀元前3000年から紀元前2000年にかけてメソポタミア・インダス両文明の交易拠点として栄えたディルムン文明の遺構が原点となっている。その後は長い歴史の中でアケメネス朝ペルシャ、パルティアなどの支配下となり、16世紀頃にはポルトガルが入植し、現在残っている、要塞のような改築を行った。
海沿いに石積みの美しい要塞が構えており、打ち寄せる波の音も聞こえる。
海が見えるほどの海岸沿いにあるため、風が強く土埃が舞っている。まだ朝早い時間と言うのもあってか、観光客は私の他にいなかった。バーレーン要塞は、ここバーレーンで最初に登録された世界遺産で、その迫力はすごかった。この規模の遺跡を独占して眺められるのはなかなか無く、ゆっくりと見学することができた。
16世紀ポルトガルの砦の他に、遺構も数多く残っている点も興味深い。
要塞の壁は石で築かれており、高さは約12メートルに達するのだそうだ。
砦は約17ヘクタールの敷地に渡っており、ぐるりと一周回ることができる。中も入って見学できるようだったが、安全の観点からか長らく解放されていないようで、この日も残念ながら砦の中に入ることはできなかった。途中で係員らしき2人組の男とすれ違ったが、中には入れないと言われてしまった。
左側が海に面しており、遺構の奥にはマナーマの高層ビル群も見える。
バーレーン要塞の元となった遺構からは古代の港湾施設も発掘されており、紀元前から続くメソポタミア・インダス両文明をつなぐ交易の要所となっていたことがうかがえる。小さな博物館があり、冷房でキンキンに冷えた館内では出土品やバーレーン要塞の解説などが見られた。値段は1500-2000円くらいだったと記憶しているが、値段の割には小さな博物館である。
古代文明の交易の証拠となる出土品。バーレーンの長い歴史を感じる。
こうした装飾の数々も日本とは異なる文化に触れられるので、面白い。
滞在は1時間半ほどだったが、私が見学を終えるころには続々と人が来始めていたので、空いている時間帯だったのかもしれない。本数が少ないのか、帰りのバスがなかなか来なかったが、無事、マナーマの中央バスターミナルに戻ってきた。まずは、バーレーンの世界遺産、1つ目をクリアである。
ディルムンの墳墓群
2つめはバーレーンの中央部、マナーマからは離れた郊外にあるディルムンの墳墓群へ向かう。同じく紀元前数千年のディルムン文明の存在を示す世界遺産で、小規模の古墳が市内の広範囲に広がっているのだそうだ。
2019年に世界遺産に登録されており、比較的新しい世界遺産なのだが、バーレーンを旅行する人が多くないためか、それとも古墳群のためあまり視覚的な魅力が無いためか、日本語による情報が皆無と言ってよいほど無い。
ディルムンの墳墓群を訪れる旅行ブロガーとしては初訪問という名誉と共に情報を提供していこうと思う。古墳が最も多く密集しているエリアへは、16番バスで最も奥の場所まで向かう。時間にして40分くらいだったと思う。
バーレーンはahamoの対象外なのでネットを使えず苦労するかと思ったが、このバーレーンバスはwifiが使えるため、ネットに困ることは無かった。
遺跡の名前は発音できないので、とりあえず、終点まで連れてってくれと頼んだ。
バスを降りると、砂漠と言うよりはただの荒れ地が広がっており、ところどころにこぎれいな民家が見える。バーレーンの中でも、住宅街と呼べそうな庶民の街だった。
幹線道路を渡っていくと、本当にただの住宅街に出る。中東の中にもこんな雰囲気の場所があるのかと心配になるような程、静かな雰囲気の場所だった。その住宅街を歩いていると、遠くからもひときわ目立つこんもりとした丘があった。
閑静な住宅街にどっしりと構えるディルムンの墳墓。世界遺産だ。
墳墓”群”と名のある通り、この住宅街一帯に墳墓が点在している。
ディルムンの墳墓は紀元前3千年紀から紀元前2千年紀にかけてのディルムン文明に関連する墳墓群で、その規模の大きさや保存状態の良さから世界遺産に登録された。これらは、古代ディルムン文明に埋葬の文化が存在したことを示している。
この内部構造はエジプトのピラミッドなどと似ており、石室が備わり、陶器や宝石類など、数々の副葬品が出土しているのだという。こんな感じの墳墓が、少し歩いた範囲でも10-20は点在している。その一つ一つに世界遺産の看板が突き刺さっていた。
墳墓の中には穴が開いているものもいくつかあった。
さらに南に進むと、広範囲に渡って立ち入り禁止の柵が建てられ、大小さまざまな墳墓が乱立している荒野があった。
ここが”ディルムンの墳墓群”の世界遺産コアエリアなのだろう。実に殺風景だ。
考古遺跡の問題として、私はUAEのアルアインの遺跡でも感じたのだが、まるで華やかさが無く、見ごたえが無いのである。歴史的には非常に貴重な紀元前の遺跡なのであるが、上から見ただけでは、ああそうですか、で終わってしまう。日本語の情報が全くなく、ジェスチャーと英語の記事を頼りに苦労してようやくたどりついた、その世界遺産が、荒れ地に点在する墳墓だけというのも味気ない感じがした。
私のような世界遺産マニアな変人は、しかし、誰も行かない世界遺産にたどり着いたことに、一人興奮するのであった。
荒れ地に点在する古墳群の上を、バーレーンの強い海風が駆け抜けていく。
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