バーレーンのひどすぎる交通事情と、世界遺産の真珠取りの町 【エジプトとアラビア半島】 旅行記4日目後編

バーレーンのひどすぎる交通事情と、世界遺産の真珠取りの町

4日目、舞台は中東の小国、バーレーンへ。

小さな島国、バーレーンには3か所の世界遺産が点在する。バーレーンバス(英語HP)

バーレーン大渋滞

ディルムンの墳墓群の近くにはバス停があり、このバスに乗ってイサという町まで戻り、そこからマナーマ市内へ向かうバスに乗り換える。ディルムンの墳墓群の見学を終えたのは13時を過ぎた所だった。

午前中に2か所の世界遺産巡りを終えて、ここまでは順調だった。

バス時刻表から遅れること10分。バスが到着した。

乗車後しばらくの間はディルムンの墳墓も見え、世界遺産もあと一つなので余裕で回り切れるだろうと楽観的に考えていた。

このバスの10分の遅れがすでに死亡フラグだったのだ。

しばらくの間順調に走っているかのように見えたそのバスは、太い通りに出ると、とたんに動かなくなった。中東諸国は信号が少ない代わりにラウンドアバウトと呼ばれる円状の交差点が多い。

この交差点が連続して連なるため、交通量が少し増えると譲り合いの頻度が増加し、付近一帯に大渋滞を巻き起こすのだ。

さらに、この時間帯は学校の終わりと重なるらしく、お迎えのバス、お迎えの車が次々と学校の前に停車し、子供を乗せるので無限に時間が過ぎていく思いがした。

学校の前を通るバスはその”子供お迎え渋滞”に見事に巻き込まれ、イサタウン・バスターミナルに着くのに1時間も要してしまった。そのバスには10人程の乗客がいたが、これが日常と言った様子で、イライラする様子は無かった。

ようやくたどり着いたイサタウン・バスターミナル。

このイサタウンからマナーマ・中央バスターミナルまでも、少し距離があった。しかも、マナーマ行きのバスも大幅に遅れているようで、このバスを待つ人がたくさん並んでいるのが見えた。

イサタウンでもマナーマ行きのバスが遅れ、さらに時間がかかった。

マナーマ・中央バスターミナルに行くのにさらに40分を要し、私は大いに疲弊していた。最後の世界遺産” 真珠採り、島の経済を物語るもの”を見学する時間が刻一刻と減っている。貴重な時間は橋の大渋滞でさらに溶けてゆき、時刻は15時10分になっていた。

真珠採り、島の経済を物語るもの

真珠採り、島の経済を物語るものとは、古来から真珠産業で発展し、特に高品質のものがとれたバーレーンを象徴する世界遺産である。そのため、バーレーンは小さな島国ながら別名“真珠の島”とも呼ばれる。

真珠が引き上げられるバーレーンの港から、選別、加工、運搬に至る一連の行程が街として空港の南側に保存されており、世界遺産に登録されている。景観美が美しいというよりは、バーレーンの歴史を象徴する漁師の街と言ったイメージだ。

私に残された見学時間は20分だった。

バスターミナルで降りた時間は15時10分。時間的に15時半過ぎにはタクシーで空港に向かいたい。

私は世界遺産のコアエリアへ向けて疾走した。海が近いためかべたべたする海風が頬を撫でる。さらに泣きっ面に蜂とはこのことだとばかりに雨も降り始めた。

それでも、街中に世界遺産マークを見つけると、いくらか感情が高まった。

真珠取りの街の世界遺産はこのスタートを起点に、道が世界遺産となっている。

今は大通りができているため歩道橋となっているが、この先の海から真珠を引き上げ、運搬して順に選別、加工などが施されて北側に進んで行くような造りになっている。漁師たちの暮らしを象徴するようなマーケットの建物などが随所に建つ、そんな世界遺産なのである。

歩道橋を越えた先にはバーレーン砦がかすかに見え、さらに向こう側には海が広がる。

開館時間が限られるためこの日はこの先に進むことができなかった。

さて、世界遺産の街の方はと言うと、終始、こんな感じだった。

ダル・アル・ムハッラク。この世界遺産の中心となる場所だ。

かつてのバーレーンの繁栄を象徴する、真珠加工プロセスの街の一部なのだが、日本などで養殖真珠技術が確立されると衰退の一途をたどったとされる。いわゆる”世界遺産的な華やかさ”は全く感じられないが、こんな世界遺産があるのもまた、面白さだった。

かつての繁栄がしのばれる、世界遺産、真珠取りの町だった。

できれば時間をかけて見学したかったのだが、飛行機の時間も迫りつつあるし、雨も強くなりそうな気配だったので、私は観光を切り上げ、空港に向かうことにした。バスターミナルまで戻っては来たが、私は先ほどの大渋滞を思い返し、バスの中で缶詰めになって飛行機を逃すと大変なことになる、と思った。

正規のタクシーではなかったが、焦っていた私に声をかけてきた若い男に乗せてもらい、車で空港に向かった。

マスカット・ナイト

バーレーンの空港の記憶はほとんどない。時間にかなり追われる形のチェックインで冷や冷やしたが、飛行機は無事オマーンの首都、マスカットに向けて出発した。

歩きっぱなしのバーレーン観光で体力を消耗したのと、UAEで発症した風邪の影響もあり、飛行機が離陸すると同時に私は夢への旅を開始し、気が付くともうオマーン上空だった。

時差の関係もあり、オマーンに着いたのは22時だった。

相変わらずきれいな中東の空港でアライバルビザ料金を支払い、苦労することなく24か国目、オマーンに入国した。空港にはほとんど人影が無く、公共交通手段もこの時間では絶望的である。

マスカット市内へ向け、割高なタクシーで比較的安価なホテルに向かうと、倒れこむように中に入った。

外装こそ立派なホテルだが、ちゃんと安いホテルだった。このホテルは安いのかと、何度のタクシー運転手に確認してしまった。

頭痛やのどの痛みはどうやら治まったようだが、まだ本調子ではないようだ。すっかりガス欠となってしまった私は、エンストになる前にホテルのベッドに倒れこんだ。

 

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