乗客2人だけの謎すぎる寝台バスで、ルアンパバーンからジャール平原を目指す
ワット・シェントーン
数多くの寺院が乱立するルアンパバーンにおいて最も有名で、多くの旅行パンフレットに使用されているのは、ワット・シェントーンと呼ばれる寺院だ。国立博物館やプーシーの丘からさらに東に進み、サッカリン・ロードの東の果てにある。
大きな看板が目印だが、ここは観光客が多いのですぐにわかると思う。
寺院への道には、両脇にお土産屋台が並んでいる。ルアンパバーンは意外とお土産屋が少ない。
16世紀に建立された寺院ということで、他の寺院とは異なり歴史を感じる建物。
本堂の壁面は黒く塗られており、金色の装飾が施されている。
ひときわ豪華な金色の空間では、じっくりとたたずむ観光客も多かった。
この本堂は裏手側に黄金の木のモザイク画が描かれている。これは20世紀のものだが、美しい。
ワット・シェントーンの建立は、ヴィエンチャンの大商人が由来とされ、彼の商業による偉業をたたえて建てられたためか、豪華絢爛な装飾が施されており、見ごたえがあった。この場所は観光客も多く、これまで見かけなかった日本人観光客もちらほら見かけた。
敷地内にある霊柩車庫。外装は黄金ベースの装飾が施されており、眩しさを感じる。
中には東洋風の龍をモチーフとした巨大な霊柩車が収められていた。
観光客はそこそこいるものの、雨も降っており、混雑と言うほどではなかった。のびのびと堪能したので、旧市街を散策しながら来た道を戻り、バスターミナルに向かうことにした。時刻は12時半。まだまだ余裕があった。
旧市街の寺院群やプーシーの丘を眺めながら、最後にワット・ヴィスンナラートを訪れた。
こちらもルアンパバーンの中では比較的有名な寺院。
旧市街の中では、国立博物館やワット・マイのあるサッカリン・ロードからプーシーの丘を挟んだ反対側にあるため、ややアクセスが悪い。決して距離的な不便さがあるわけではないが、なんとなく、離れていて訪れるのがめんどくさいのだ。
タート・バトゥムと呼ばれる白い巨大な塔が大きな特徴で、近くで見ると圧巻。
本堂に入るには20000キープが必要。仏堂がたくさん置かれている本堂で、猫が昼寝をしていた。
これで、地球の歩き方で紹介されているような、ルアンパバーンの有名な寺院はほとんど見終わった。時刻は13時。朝早くから行動していたので余裕がありそうだった。
まだルアンパバーンを観光することはできそうだが、雨も降っているし、寺院群にも飽きてしまったので、街を離れるころ合いかなと思った。歩いて町はずれのバス停へと向かう。なんとなく見覚えのある道を戻り、バスターミナルに到着したのは13時半だった。
問題は、どうやって次の街、シェンクワーンに行くか、だ。
ゲーム・オーバー
ラオスには3つの世界遺産があり、その内2つ、チャンパーサックの文化的景観と、古都ルアンパバーンを制覇することができた。残ったのは”ジャール平原の巨大石壺遺跡群“と呼ばれる遺跡だけだった。この遺跡はラオスの高地、シェンクワーン県のポーンサワンと言う街にある。
人によって”シェンクワーン”と言ったり”ポーンサワン”と言ったりするのでややこしいが、この手記内ではどちらもほぼ同じ場所を示すものとみなして話を進める。とにかく、ジャール平原に行くためには、シェンクワーン県のポーンサワンという街に行かなければならないらしい。
待合椅子とチケットカウンターがあるだけの、シンプルなバスターミナルだ。
まずは、近くにいるドライバーらしき人に、シェンクワーンに行くバスの有無を聞いてみた。ルアンパバーンからシェンクワーンに行くナイトバスが運行している、というブログ記事をどこかで見かけた記憶があったのだ。しかし、
“雨季は道路がぐちゃぐちゃだから、ナイトバスは運行できないんだよ”
という、もっともな返答が返ってきた。確かに、ヴィエンチャンからここルアンパバーンに来る道も大層ひどく、大きな寝台バスなんて運行できないだろうと想定してはいたのだが、バスが無いと、私は困ってしまう。
そこで、奥のチケットカウンターにいる、インテリ系の係員にもう一度聞いてみた。が、ナイトバスが無いというのは同じだった。
彼曰く、唯一の移動方法はミニバンで、私がここまで来た経路と同じく、ここから8時間ほどかけて、ポーンサワンのバスターミナルに向かうミニバンがあるという。明日の朝出発し、丸一日かけて移動するのだそうだ。ポーンサワンには夕方に着くので、ジャール平原の見学はさらにその翌日になるだろう。しかし、それでは困るのだ。
私に残された日数は今日を含めるとあと4日。その4日目の深夜にはバンコクの空港にいなければならない。ここで時間を無駄にすると、予定していたタイの世界遺産たちをあきらめなくてはならない。ラオスの世界遺産、ジャール平原を取るか、タイの世界遺産を取るか。究極の選択に私は頭を抱えた。
どう計算しても、予定していた世界遺産のどれかをあきらめなくてはならなかった。ジャール平原は、遠すぎた。ついに、ゲームオーバーになってしまった。
ルアンパバーンからシェンクワーンへは飛行機も飛んでいなかった。検索する限り、空路はヴィエンチャン→シェンクワーンしか見当たらなかった。しばらくスマホとにらめっこをしていると、先ほど話しかけたドライバーが声をかけてきた。
彼はヴィエンチャン行きのミニバンのドライバーだったらしく、これに乗るか?と誘ってきた。14時発、ヴィエンチャン行のミニバン。これに乗れば夜にはヴィエンチャンに着く。
そこそこ人も乗っており、14時きっかりに出発するとのことだった。
ヴィエンチャンに行けば、ポーンサワン行きの寝台バスがあるかもしれないし、翌日朝の飛行機が見つかるかもしれない。たとえジャール平原には行けなかったとしても、残ったタイの世界遺産を見て回る日程の余裕ができる。
ルアンパバーンに残り、翌朝1日かけてポーンサワンに行くミニバンに乗る、という確実な方法を捨てるので賭けに近かった。しかし、残りの日程を考えた私は意を決して、そのヴィエンチャン行きのミニバンに片足をかけた。その時、インテリ系のチケットカウンターの係員がやってきて私に言った。
“ポーンサワンに行くバスが17:00に1本、あったよ!”
奇妙なバス旅
ヴィエンチャンに戻るミニバンに片足をかけた私は、そのポーズのまま硬直した。いろいろな考えが頭を駆け巡り、次の言葉がすぐ出てこなかった。もう一度インテリ系の彼が
17:00時にポーンサワンに行くバスが出るよ。
と言い直すのを聞き、我に返った。どうやらここで3時間待っていると、ポーンサワンに行くバスがあるという。しかし、彼の言葉を信じて3時間後のバスを待つかどうかも、正直なところ賭けだと思った。夜の早い段階でヴィエンチャンに着くミニバンは、この14時発が最後のチャンスかもしれないのだ。
今、目の前には確実にヴィエンチャンに戻れるルートが横たわっている。その道を選ばず、来るかどうかわからないポーンサワン行きのバスを待ち、もしそのバスが来なかったら、、、私は、、、
、、、
14時発、ヴィエンチャン行きのミニバンは、定刻通りにルアンパバーンを出発した。
・・・
・・・
何とも言えない感情でその後ろ姿を見送った私は、バスターミナルの椅子に腰かけると、大きくため息を吐いた。
3時間、またしても待ちぼうけだ。ルアンパバーンの観光はあらかた終えて満足していたし、雨の中また旧市街に歩いて戻って観光を続けるという気力もなかった。
何が起こるかわからないので、近くの売店で全部で120円くらいだったパンを買った。
貧乏学生だったころなら、1週間は生き抜けそうな、量は多いが恐ろしいほど味のないパンだった。
ルアンパバーンの街に降る雨の音をBGMに、私はリュックを枕にして仮眠をとることにした。托鉢のために早く起きたからか、適度な眠気もあり、良い仮眠をとることができた。疲れが体にたまっていたのか、3時間はあっという間だった。
しかし、約束の17時になってもバスらしきものは現れなかった。
インテリ系の彼をちらりと見やると、信じて待っていろ、という強いアイコンタクトを送ってきた。
17時半になると、どこからともなく、年齢不詳の、不思議なオーラをまとった女性がバスターミナルに現れた。ゆったりとした不思議な布を身にまとい、アクセサリーをジャラジャラとつけた髪の長い女性だ。絶妙に顔が隠れ、年齢は判断できない。なんとなく占い師っぽいイメージなので“占い女”としておこう。人を惹きつける不思議な魅力があった。
18時10分前になると、突然、隅の方に止まっていたオンボロのマイクロバスにエンジンがかかった。
このボロボロのバスで、悪路を通ってポーンサワンに行くらしい。
インテリ系の男は、このバスだ、と目配せをした。そうか、このバスで8時間かけてポーンサワンに行くのか。確かに小型のバスなら悪路を進むのも楽なのだろう。軽い気持ちでそのポーンサワン行きの寝台バスのドアをくぐった。
それは、寝台バスではなく、普通のマイクロバスだった。
ホコリ臭いにおいが充満し、窓ガラスは汚れ、床も泥だらけの、手入れがなされていない、小汚いバスだった。ドライバーがいる運転席の横に、ゆったりめの人が横になれるスペースがあり、そこに交代要員の男が陣取っていた。乗客は一人もいなかった。
いよいよ出発の時刻と言う時になって、先ほどの“占い女”が乗ってきて、私の2席後ろに座った。バスはドライバーと補助員、そして乗客の私と”占い女”の計4人を乗せて、静かにルアンパバーンを出発した。18時、日が傾き、外は暗くなりつつあった。
運転席と、その横にある補助ベッド。交代しながらポーンサワンに行くのだろう。
ルアンパバーンを出たバスは、ミニバンよりもはるかに遅い速度で市内を南に抜け、街を出た。途中で誰かが乗ってくることもなく、また、占い女が降りる気配もなく、ルアンパバーンの街の光は後方に遠ざかり、バスは前方の暗い山道にどっぷりと呑まれていった。
バスは日の暮れた山道をのろのろと走っていく。轟音を上げるバスの車内にはしばらく前の二人の会話が響いていたが、やがてそれも静かになった。そもそも私は行きずりの観光客であり、私がいなかったらこのバスの乗客は”占い女”一人になる。このバス路線は採算がとれるのだろうか、ふと疑問に思った。
順調にいけば8時間ちょっと、18時に出たバスは深夜の2時にポーンサワンに到着することになる。が、とてもこのスピードでは8時間で到着するとは思えなかった。また、深夜の2時にポーンサワンに着いたところで、その先どうするか、当てがあるわけではなかった。
深い山道に入るとスマホは圏外になり、GPSも意味をなさなくなってしまった。ポーンサワンの宿を調べることも、ジャール平原の情報を得ることもできない。完全に外部から隔離された私は、とりあえず寝る以外にすることがなかった。
補助席を倒し、靴を脱ぐと私はベッドに横たわった。誰が何と言おうと、これはベッドだ。
リュックを枕替わり敷き、足を延ばすと意外に快適であることが分かった。(錯覚)どこを走っているのか、どこに向かっているのか、何時に着くのか、全くわからない奇怪なバスは、奇妙な乗客たちを乗せて夜道を走っていく。
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