奇妙な一夜と、巨大石壺遺跡群、ジャール平原。 【カンボジア-ラオス-タイ】旅行記6日目前編

奇妙な一夜と、巨大石壺遺跡群、ジャール平原。

 

ミッドナイト・イン・ポーンサワン

急な尿意で目が覚めた。不規則に揺れるバスの中で、私は果敢にも寝ていたらしい。バスは相変わらず山道を走っていた。時刻は24時といったところだ。

ふと、後ろの”占い女”のことが気になった。もしかして、私の知らない間にどこかで降りているのか?後ろの座席からは衣擦れの音一つしなかった。私は精神を集中させ、意識を後部座席に傾けた。

20~30秒は経っただろうか。不意に後ろから、くゥ~~というかすかな寝息が聞こえた。良かった。私は何か非科学的な現象に巻き込まれたわけではなさそうだ。

ドライバーに声をかけ、途中でバスを止めてもらうと、野外に出て用を足した。ドライバーも補助員の男も降りてきて、思い思いの方向に散らばり、すっきりとした表情で戻ってきた。”占い女”は降りてこなかった。

再びバスは動き出した。相変わらずネットはつながらず、どこを走っているのかわからなかった。とにかく、なるようになるだろうと信じて再び座席に横になった。

・・・

・・・

バスは不意にスピードを緩め、停車した。今度は小便、というわけでもなさそうだった。スマホを見るとネットがつながっており、GPSはポーンサワン・バスターミナルを指し示していた。

遠くに見えるのはバスターミナルのようだ。時刻は朝、4時だった。

バスは止まり、ドライバーと補助員の男はバスの扉を開けたままどこかへ消えていった。後を追おうと思ったが、なぜか”占い女”は降りてこなかった。

ターミナルは予備灯が光っているのみで、周囲も真っ暗だった。

“占い女”は何故か、エンジンが切られて停車し、扉が開いているバスから降りてこなかった。予備灯一つの薄暗がりの中、私はどうすればよいのか全く分からず、しばらく様子をうかがうことにした。

10分くらい経っただろうか。補助員の男だけがバスに戻ってきた。そして、バスの前方にある簡易ベッドに横たわると、なんとそのまま寝てしまったではないか。

なるほど。占い女も、この男も夜が明けるのをここで待ち、日が明けてから行動しようというのだろう。バスの中で、野宿というわけだ。ならば私も、とポーンサワンで宿を取るのをあきらめ、彼らに倣ってゴロンと横になった。

開け放たれたドアから吹き込んでくる夜風が身に染みた。

日はまた昇る

強烈な日差しで周囲が明るくなり、不意に占い女がゴソゴソしだしたのは朝の7時だった。バスターミナルに徐々に人が集まり始めていた。どこからかバスドライバーも戻ってきて、補助員の男と合流した。

都が明けたポーンサワン。左奥に小さく見える黄色いバスが、一夜を明かした宿だ。

ルアンパバーンから一緒だった例の3人は1台のトライクルを捕まえていた。どうやら乗合で市内中心部に行くようだった。私を待ってくれていたようだが、そもそもどうやってジャール平原に行くのか全く考えていなかった私は申し出を断った。そして、急な便意に襲われた私は、ターミナルのトイレに駆け込んだ。

用を済ませて落ち着いた私は、だんだんと頭が冴えてくるのを感じた。そして、またこうしたミニバンでポーンサワンからヴィエンチャンに帰るとなると、心も体も深刻なダメージを受けることが予想された。

私は急いで飛行機を調べると、この日の16時にシェンクワーン空港からヴィエンチャンに飛ぶ飛行機のチケットを取得した。料金は3600円。安い。全然ケチるような値段ではなかった。

帰りの目途が立った私は、次にジャール平原の見学方法を考えることにした。バスターミナルはまだ人がまばらだったので、とりあえずポーンサワンの市内まで歩きながら、頭を動かすことにした。

朝の散歩。ポーンサワンは高地なので思ったよりも、寒い。

この町は今までのラオスの街と比較すると規模が小さく、人通りが少ない。そして、寒かった。いくつかのバイクショップや商店で聞き込みをした結果、いろいろなことが分かってきた。

ジャール平原は広範囲に及び、1日ではとても見学しきれないらしい。なかでも有名なのはサイト1、次いで郊外にサイト2とサイト3という、石壺遺跡がある。他にもサイトはたくさんあるが、主なものはこの3つだという。

そして、レンタルバイクはこの地域ではやっていないこともわかった。さらに、人が少なすぎてタクシーも全然おらず、車のチャーターもほとんど行われていないという。

唯一行けるとしたら、トライクルで、ポーンサワンのサイト1へ往復することくらいだという。サイト2、サイト3はトライクルでは難しいらしい。情報をまとめた私は、トライクルでとりあえずサイト1に行ってみることにした。

トライクルすら、ほとんど走っておらず、捕まえるのが大変だった。

巨大石壺遺跡

ポーンサワン市内から離れ、トライクルは草原を疾走していた。繰り返すようだが、ポーンサワンは高原なので、気温が他より少し低い。突き刺すような朝の風が薄着の私の身を震わせた。

20分ほどだったと思う。ジャール平原の看板が見えた。

トライクルのおじさんは小さな建物の前で私を降ろしてくれた。どうやらここでチケットを買うらしかった。まだ朝早いからだろう。私はこの日1番目の客だった。

ジャール平原のチケット売り場。内部は博物館のようになっていた。

世界遺産登録証の他、ジャール平原に関する展示があった。

石壺の用途は、亡くなった人を収める墓だった、という説が有力らしい。

チケットを購入した私は再びトライクルに乗り、サイト1の中心部に移動した。駐車場で降り、草原を歩くと、不思議な光景が目に飛び込んできた。

草原に転がる壺は1個や2個と言ったものではなく、数十個に及ぶものだった。

サイト1にあるこちらが、ジャール平原で最も大きなものらしい。

草原に転がるジャール平原の石壺は、前夜の奇妙な体験もあって現実世界にいることを忘れさせるような、不思議な世界観を持つものだった。朝早く、観光客が他にいないのが、さらに不気味に感じられた。

一つ一つが大きさも形も違うので飽きることなく見続けた。

石壺は大小様々で、壊れているものもあれば、器状にきれいに残っているものもあった。

サイト1が一番数も多く、保存状態が良いものが多いのだそうだ。

朝一番に、ポーンサワンでやりたかったことがすべて終わってしまった。私は遺跡の石壺に囲まれながら芝生に横になった。誰も来る気配がなかったので、一人で世界遺産を独占し、この不思議な光景、昨夜からの不思議な経験に酔いしれていた。

しばらくするとツアー客らしき人の声が丘の向こうから高らかに聞こえてきた。私はその声を合図に立ち上がると、乗ってきたトライクルの元に戻った。トライクルの彼も優雅に二度寝を決め込んでいた。

一応サイト2、サイト3もおねだりしてみたが、彼は首を縦には振らなかった。トライクルで再びポーンサワンに戻ってきた私は、飛行機の時間まで、暇を持て余すことになった。

 

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