イスラーム地区縦断と、深夜のエジプト出国でターミナルを間違える 【エジプトとアラビア半島】 旅行記1日目後編

イスラーム地区縦断と、深夜のエジプト出国でターミナルを間違える

1日目、エジプト旅行記の続きである。

参考までにカイロの大まかな位置関係、巡った場所を示す。

エジプトの非日常

ズウェーラ門のすぐ北西、隣接するガーマがある。ガーマ・ムアイヤド・イッシェイフという1415年に建てられたこちらも、もちろん世界遺産である。

もとは牢獄だったという、巨大な建物が通路に影を落としている。

時刻は夕方へ差し掛かり陽の光が和らぐと、人の出が一層多くなってきた。

エジプトはイスラム教徒が多数おり、すれ違う女性はヒジャブを付けていることが多い。通り一つを取ってみても文化の違いを大いに感じるのだから、異国の街歩きは面白い。

どこまでも古い街並みが続き、手すりや窓枠、妙な出っ張りがあると、手を掛けて登ってみたくなる。まさに、アサシンクリードの世界だった。

私はゲームの主人公の如く、イスラーム地区を闊歩した。

大通りに面したところでその流れに沿って行くと、一層、人の流れが増え、カイロはさらに混沌の魔境と化していた。何か起きそうな気配を感じたその時、まさに目の前で殴り合いの喧嘩が始まった。

ぶつかったか何かで激昂する男2人、必死で止めようとする人々は怒れる2人をそれぞれ3-4人ずつで羽交締めにした。

アラビア語で興奮気味に煽りあう2人。

喧嘩の始まりから一部始終を見ていた私は、巻き込まれないように距離を置きながらも遠巻きに観察する野次馬と化した。

同じく一連の流れを見ていた男と目が合うと、その男は私に近づいてきて、こう言った。

“これがエジプトの日常さ。”

そんな日常があってたまるか。とは思ったが、私は苦笑いを浮かべてその場を後にした。

未来のスターたち

私は北への街歩きを続けた。途中で大きな建物が林立する場所に出た。スルタンのマドラサ群がある場所だ。もう何度となく出てきているが、もちろん世界遺産である。残念ながらすでに閉館時間を大きく過ぎており、重厚な門は閉じられていた。

カイロの中でも人通りの多い中心部にどっしりと構えた学校群。

いずれも13-15世紀ごろのマムルーク朝時代に建てられた、イスラム風の装飾が美しい建築である。その規模の大きさからこの場所は、古来からのカイロの教育、文化の中心であったことが推察できる。

貴重な世界遺産群の間を通り抜け、私はさらに歩き続けた。

適当な店を冷やかしながらのんびりと歩いて行くと、北側のガーマと門がある場所に出た。

世界遺産のガーマ・ハーキムの前では大小様々な子たちがボロボロのボールを追いかけてサッカーをしていた。私に気づいた子たちが笑顔で手を振ってきたのだが、疲労困憊の私は彼らに混ざって走り回る余裕は無かった。

未来のスーパースター達に別れを告げ、ガーマ・ハーキムに入った。

この時間はアザーンの放送が流れたことで、夕方の礼拝に訪れる人が多く、ガーマはどこか神聖な雰囲気に満ちていた。

もう、何個目かもわからなくなった世界遺産のモスクを出ると、北端のフトゥーフ門である。

イスラーム地区の北側は重厚な城壁で分断されているため、いくつか点在する門をくぐらなければ移動ができない。このフトゥーフ門も次から次へと人が移動し、車が移動し、荷物が移動していた。

北側はズウェーラ門と異なり、高さは無いが堅牢な造りとなっている。

19時を超え、陽の暮れる速度が加速する。マジックアワーだ。

東に歩いていくと、ナスル門がある。どちらも11世紀の建築。

長い距離を歩いたためか、足はもうくたくただ。ディズニーランドを一日楽しんだ夕方の、あの足が棒になる感覚に近い。

ここまで来ると、もうこれで大満足という気分になってきた。1日かけてギザとカイロの見どころを全部盛りで見ることができたと思う。深夜の便とはいえ、そろそろ空港にも戻っておきたい時間になってきた。

タクシーで直ぐに向かうのも味気ないと思い、私はスマホを取り出すと近くの地下鉄駅を検索した。

出エジプト記

なんだかんだで3,40分は歩いていたと思う。地下鉄駅周辺に来る頃にはすっかり陽が暮れ、路上はナイトマーケットと化していた。忘れていたがこの日は土曜日だった。

街はお祭り騒ぎで、露天からは調理の煙が立ち上り、物売りは声を張り上げていた。

続々と人の流れが流入し、夜なのに体感気温は上がっているように思えた。

魅力的な商品もたくさんあり、ついつい目移りしてしまうのだが、あいにく空港へ行くわずかばかりのお金しか持ち合わせが無かった。なんて、貧乏旅行なんだ!改めて自分の計画性の無さを嘆く。

私は愛想だけを振り撒き続けると、地下鉄駅へ逃げ込んだ。

車窓はすっかり様変わりしており、夜の暗闇の中を空港方面に向けて走っていた。もはや走っているのが地下なのか、地上なのか判断がつかなかった。駅に止まるたびに乗客の数が少なくなっていく。

空港の最寄りとされる駅に着いた。着いたのだが、驚くほど殺風景な交差点で、空港ではなかった。

車が猛スピードで行き交う以外に特徴は無く、店すらも見当たらない。近くに乗り合いバス乗り場があり、まずはそこに移動した。バス乗り場に居合わせた男に聞いてみると、ここから空港へは、さらにタクシーに乗る必要があるらしかった。

そう、空港へは鉄道が直通しているわけではなかったのだ。私はなけなしのお金でタクシーに乗り込むと、空港に向かった。

・・・・

大きな誤算があった。

カイロの空港にはターミナルが4つあった。私は、エジプト航空なので勝手にターミナル1だと決めつけて、ターミナル1でタクシーを降りたのだ。

しかし、改めて手元のチケットを見直すとそこには黒々とした文字で”ターミナル3″と刻まれていたのである。

例によって妙になれなれしい空港ドライバーたちがすり寄ってくる。時計を見ると21時。チェックインの締め切り目安時間が迫っていた。

急いで空港の駐車場を駆け回り、ターミナル間を運行する連絡バスの乗り場を探しだしたのだが、運の悪いことに目の前で私を置いて出発していってしまった。

走ったことで心臓の鼓動が早くなり、つられて焦りも加速する。時間にも追われているため的確な判断ができなくなりそうだった。

覚悟を決め、空港ドライバーズの中から比較的まともそうな人を選び、再びタクシーを走らせた。ターミナル1とターミナル3はそこそこ離れていたが、無事間に合いそうだった。私は何度も感謝の言葉を繰り返した。

タクシー料金は手持ち金が本当にぎりぎりだった。ドライバーには“なんでそんなにギリギリなんだよ!”と笑われてしまった。自分でも笑えた。

(後から調べたところによると、ターミナル1とターミナル3の間はモノレールが運行している、らしい。)皆さんは事前調査をしっかり行い、空港へは余裕をもって行くこと!!

なんとかチェックイン時刻に間に合った。出国審査を終えると汗をぬぐい、着替えて身辺を整え、荷物を整理した。ようやく、エジプトでの長い長い1日が終わった。(実にブログ記事にして5本分、1日分の話としては歴代最長の長さである)

私の乗った座席は非常口席で、シートピッチが広く足が延ばせて快適だった。さらに、3列シートなのだが、真ん中の人が居ないのでスペースもゆったり確保できた。

機内食を胃袋に流し込むと、全身の緊張がほどけるのを感じた。

ほどなくして私は熟睡の境地にたどり着いたのだろう。機内食以降の記憶が無い。

次なる目的地は、富豪たちのイメージがあるアラビア半島。

21か国目、華やかな大都会、UAEのドバイに向けて、星々の浮かぶ夜空を飛んでいく。

 

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