エジプト考古学博物館と世界遺産のオールドカイロ散策
1日目、エジプト旅行記の続きである。
参考までにカイロの大まかな位置関係、巡った場所を示す。
サラディンのシタデル
オールドカイロから乗ったタクシーは砂舞うカイロの街を飛ぶように爆走した。車は幹線道路をスイスイと進み、坂を駆け上がると、私は再び灼熱の内に吐き出された。
私は大きく深呼吸をすると、入り口に向かう長い坂を登り始めた。
シタデルは防衛拠点、砦という意味であり、カイロ市内が見渡せる高台の上にどっしりと構えている。
その城壁の中にはモスクや軍事博物館といった見どころが凝縮されている他、展望テラスからはカイロの街並みを高いところから遥か遠くまで観察することができる。
持てる体力を振り絞ってゲートへ辿り着くと、大きな城壁が目の前に立ちはだかった。歩みを止めると、滝のような汗が私の額を滑り落ちた。
シタデルもまたカイロの世界遺産の一部であり、アクセスもしやすいため、カイロ市内では人気の観光スポットである。入場には15分ほど並ぶ行列ができていた。
イスラム風の高い壁で仕切られた通路を進んでいくと、中央に構えたどでかいモスクが目に入った。
シタデルの中央に構えるモスク。
オスマン朝の支配下にあった1857年に完成したこのガーマ・ムハンマド・アリモスクは、ドーム部分や高くそびえるミナレットにオスマン様式が見られる。
靴を脱いで中に入るとたくさんの観光客の頭上に、規則的に配列された照明と美しい内装が輝いていた。ホールに響く人声には日本語も混じり、たくさんの観光客が集まっていた。
広いホールに輝く内装は私の目を魅了した。
床がタイル張りになっているためかひんやりとして気持ちよく、足裏からの冷気に何時間でも滞在したい気持ちになったが、自分にムチを打ち、観光を続けることにした。
モスクを通り抜けると展望テラスがあった。眼前には舞い散る砂で薄茶色く染められたカイロの街並みが広がり、そこに住まう人々の活力がここまで攻め登ってくるようだった。
高台からは非常に遠くまで見渡すことができ、在りし日の防衛拠点としての機能性の高さを実感した。
15時半を超え夕方に差し掛かっているというのに、カイロの初夏はまだその衰えを見せなかった。
ガーマとバステト神
シタデルの敷地内にはいくつかの見どころがあるが、次に私が入ったのは小さなガーマで、先ほどよりも小規模な建物だった。
日の当たる中庭を囲むように4辺を柱の空間が囲んでおり、開放感の溢れる構造となっている。大きさは違えど、先ほどのオールドカイロのガーマ・アムルと同じように、その空間は静寂に満ちていた。
こちらの中庭からは大きなモスクが見えている。
シタデル内にたくさんいる観光客も、何故かここには立ち寄らない人が多く、靴を脱いで中まで入って見学するのはほんの数名ほどだった。
イスラム風の建築はなかなか見応えがあるが、見学できるのはごく一部。
イスラム建築特有の幾何学模様の装飾がある以外は比較的地味な建物なので見学は10分もあれば終わってしまう。
早々に切り上げて次の場所に向かおうとした私は、視界の端にうごめくモフモフを捉えた。
2匹のねこである。
エジプトでの猫といえばコプト教におけるバステト神である。多産の神、豊穣の神として古来から信奉されている猫神様は、癒しの神としても人気がある。
4000年前からエジプトにおいての猫は友であり、何世代にも渡り人間を癒し続けてきた。そんなモフモフはこのガーマにおいても観光客を癒すアイドルとしての役目を全うし、万国からの来訪客に癒しを与えていた。
じっと観察していると、ねこは頭をもたげ、こちらを見返してきた。そうして目を細めて眠そうにひと啼きし、再び頭を下げた。
道沿いに進み、門を潜ると軍事博物館がある。
しかし、私は軍事博物館には行かなかった。建物の規模を見て、じっくり見ている時間は無いと判断したのだ。
博物館前にある展示と、シタデルの牢獄などその他の施設を少しだけ見て回ると、シタデルを出ることにした。
こちらが牢獄エリア。小部屋がいくつも並んで物々しい雰囲気がある。
シタデルの閉館時間は16時で、やや早い。腕時計を見ると、いつの間にかその時間が近づいていることに気づいた。
他の観光客と共に吐き出されるようにシタデルの重厚な入場門を出ると、私はトゥクトゥクを呼び止め、最後の目的地に向かった。
ズウェーラ門の塔の上で
最後に向かったのは同じくカイロの世界遺産のイスラーム地区である。人々の熱気とカイロの魅力がたっぷり詰まったストリートをゲームの主人公の如く闊歩するため、まずは南側のズウェーラ門を目指すことにした。
初エジプトの私は陽気なドライバーがどこを走っているのか少しも気にしなかったが、彼は少し回り道をしてブルーモスクを見せてくれた。
もちろん、ここも世界遺産である。
ここから見ると青いタイルが見えるぜと案内してくれた彼の予想外なサプライズに、ギザの諍いで下がり切っていたエジプシャンの株が急上昇した。一部の人の態度だけで全体の評価をしてはならないのである。
閉館はとっくに過ぎていたので少ししか見られなかったが、青いタイルを拝むことができた。
映画に出てきそうな細い道路を、砂埃をあげ、豪快なエンジン音を響かせながらトゥクトゥクは爆進した。
やがて、天高くそびえ立つズウェーラ門が見えてきた。ブルーモスクのお礼に少しチップを追加すると、彼は笑顔でその場を去っていき、後には砂埃だけが残った。
ズウェーラ門はイスラーム地区のシンボルとも言えるような高い塔で、11世紀に建てられた城門である。
せっかくなのでまずは南側の通りを歩いて行くことにした。この通りはテント職人の店と呼ばれ、絨毯から雑貨から、狭い通りにはありとあらゆるものが売られ、ひっきりなしに人が行き交っている。
もの珍しそうにあらゆる店を覗きながら歩くと、街の人々は暖かく、優しかった。声をかけてくれる人、笑顔を返してくれる人も多かった。
ガーマ・サリーフ・ダラアイー。こちらももちろん世界遺産。
再び引き返して今度は北側へ、ムイッズ通りを歩いていく。ズウェーラ門の下を潜ると、突然上の方から声をかけられた。お前、塔入るかー??みたいなニュアンスだと思う。
ズウェーラ門は午後17時まで。この時、時刻は17時2分だった。
声の方向に階段を登っていくと、閉館時間間際で締め作業にかかっていたと思うのだが、お小遣いが欲しかったのか、“まあ、見て行けよ”といわんばかりの目配せで、通常料金で中に入れてくれた。
長い階段を登っていくと、マーケットを見渡せる高い門の上に出た。
下を覗き込むとたくさんの人や車がカイロの路上を行き交っているのが分かる。
陽が傾き、ようやく涼しい風が吹き始めた夕暮れの街は、心なしか人の数が増えてきたように見えた。どこからか食べ物のいい匂いが漂ってきて、私の食欲をそそった。
2本の尖塔は螺旋階段で昇ることができるようになっており、私は東側の塔を選んで階段を登り始めた。体力はとうに限界を超えており、私の足は1段登るたびに大きな悲鳴を上げていたが、聞こえないふりをした。
息を切らしながら塔のバルコニーに出ると、イスラーム地区を一望できる。
先ほどまで居たシタデルのモスクも遠くに見える。思えば遠くに来たもんだ。
最上部までたどり着くと、石のらせん階段が終わり、その先にはむき出しの細い鉄梯子が続いていた。高いところが好きな私はその、自らの命を預けるには心もとない鉄梯子に手をかけ、足をかけた。
すると、鉄梯子は私が体重をかけると同時に小刻みに揺れだしたのだ。
一瞬の後、これはヤバい。と感じた私は再び重厚な石の螺旋階段の最上部に舞い戻った。ズウェーラ門の上部には相変わらず生暖かい砂風が吹き抜けていた。
高所からの360度カイロパノラマビューに満足した私は階段を降り、入り口のおじさんに小さく手を振ると、再びカイロの街を歩きだした。
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