エジプト考古学博物館と世界遺産のオールドカイロ散策
1日目、エジプト旅行記の続きである。
参考までにカイロの大まかな位置関係、巡った場所を示す。
ナイルの秘宝
灼熱の焦土と化したカイロ市内と比べて、エジプト考古学博物館は天国のように涼しかった。そして展示されているものすべてがナイルの、いや人類の宝であった。
2階建ての博物館にはたくさんの古代の秘宝が展示されている。
大ホールの両脇には2本の小通路があり、それぞれから分岐する小部屋には貴重な骨董品が所狭しと並べられている。有名な展示でいうとツタンカーメン黄金のマスクやアヌビスの石像などがあるのだが、名の知られていない展示品ですら、不思議な魅力があった。
マンガやテレビの中で見ていたようなエジプトの世界が目の前に広がっている。
棺の中には本物のミイラが安置されているものもあり、その禍々しくも美しいたたずまいには思わず背筋がひやりとした。
石棺には絵や象形文字が彫られたものもあり、本物のヒエログリフも多く見られた。
火照った体を冷ますように、私は館内をミイラのごとく徘徊した。土曜日だというのに館内はそれほど観光客はおらず、のびのびと見学することができた。熱心にスケッチに打ち込む美術学生もおり、私はこの静かな日常を邪魔をしないように忍び足で歩いた。
本当に多くの石棺や石像が置かれており、じっくり見ると半日はかかりそうだ。
4000年も前からこうした技術が育まれてきたと考えると、人類のすごさを改めて感じる。
2階にも多くの展示がある中で、奥にある小部屋に妙な人だかりができていた。ツタンカーメンの黄金のマスクがある部屋だった。残念ながらこの部屋は写真撮影が禁じられている。
ゴージャスな金細工の装飾と共に飾られた黄金マスクはまばゆいばかりの輝きを放っていた。このゴージャスで歴史的にも貴重な仮面とにらめっこを続けていると、だんだんと偽物っぽく思えてきたのが愉快だった。
1時間ほど滞在したところで、私はまた強烈な陽に焼かれるカイロの街を歩きだした。
世界遺産、オールドカイロ
世界遺産“カイロ歴史地区“は非常に多くの建物が構成資産になっており、もはや街全体が世界遺産であると言っても過言ではない。4000年の歴史を考えたらこの町の大部分が世界遺産的な価値を含む建物なのでこれを1カウントとするのは些かもったいないようにも思える。この世界遺産は成立が1979年と比較的初期の遺産であるため、これらが全て1つとしてまとめられてしまったのだろうと私は勝手に考えている。
話を戻すと、カイロ歴史地区の登録範囲は実に広く、何日かかっても全てを見学しきることは難しいだろうということだ。どれが世界遺産でどれが世界遺産でないのか、区別するのも難しい。一応見どころはオールドカイロ、イスラーム地区、シタデル周辺に分かれている。
まずは博物館前の駅から地下鉄で行けるオールドカイロに向かった。カイロの路上は5分も歩くと汗だくになる、そんな暑さだった。
嫌になるくらい日が照り付ける。太陽神ラーはカイロにも容赦がない。
地下鉄では金属探知機を通り抜け、来た電車に乗った。車内はそこそこ混んでいた。
汗が引ききる間もないほどの時間で、オールドカイロの駅に到着した。
うだるような暑さの中、私は駅の目の前にある世界遺産のムアッラカ教会に飛び込んだ。飲料用の水道が2口設けられており、アフリカの水であることも忘れ、無我夢中で体を潤した。
のどかな中庭を横切ると教会が見える。浮いているように見えることから吊り教会とも。
コプト正教会の主要な礼拝場所の一つで、3-4世紀頃建てられたとされる。
ムアッラカ教会はエジプトに根付くコプト正教会の歴史ある教会で、この場所で数々の宗教行事が行われてきた、いわば歴史の目撃者なのである。とはいえそこまで大きな教会ではないので、見学は20分もあれば終わってしまう。入場が無料なのは少しお得感があるが。
その隣にあるのはバビロンの塔、跡と書いてあった。本物のバビロンはメソポタミア文明であるからここから遠く離れたイラクにあるのだが、こちらは旧約聖書に出てくるその名をもじったものなのだろう。
この大きさ、そして土台の重厚感、その名にふさわしい遺跡である。
遺跡だけなのでちらりと眺め、日影へと急ぐ。その隣にある建物はまたすごい迫力だった。
聖ジョージ教会。こちらも歴史が古く神聖な教会で、世界遺産の一つ。
内部は撮影が禁止されているが見学はでき、円形のドーム部分の礼拝堂は荘厳さを感じる造りになっていた。あまりの暑さに3本目のペットボトルを空にした私は、教会の前の小さなお土産屋で、さらに2本の良く冷えた水を補充した。
冷蔵庫から出されたキンキンに冷えた水は、うだるような暑さと、容赦なく照り付ける日差しに焼かれて干からびていた私の体に、よく沁みた。
カオスとコスモ
オールドカイロから階段で下に降り、狭い通路をひたすら進んで行くと聖セルジウス教会という古い建物に行きつく。オールドカイロの中でも特に歴史ある建物で、観光客やツアー客、露天商でその狭い通路はカオスになっていた。
行く人、来る人、モノを売る人、狭い通路。
4-5世紀頃、ローマ兵であった聖セルジウスと聖バッカスに捧げられた小さな教会。
こちらも古代コプト建築で、レンガと木材を組み合わせたものになっている。
伝説によると、この教会は幼少期イエス・キリストと家族がヘロデ王の迫害から逃れるために避難した場所であったとされている。そのためか、この教会はエジプト国内からも多くの巡礼者が訪れる。
その地下部分も実際に見学することができ、敬虔な教徒を含む多くの観光客が狭い通路を通り、この場所を訪れるのだ。オールドカイロで一番の見どころである。
地下に降りる通路は階段しかないので、やや詰まり気味。
宗教的意義の深い地下聖堂。ひんやりとした空気が肌を撫でた。
細い通路から裏手側の方に向かって歩いていくと、怪しい警察官がすり寄ってきて、通行料をよこせとせがんできた。エジプトの熱気に苦しんでいた私は、そういったおねだりに構っている余裕は無く、何を言っているのか分からない、といったジェスチャーでその場を後にした。
オールドカイロの北端に向かって歩いていくと、ガーマ・アムルという寺院に行き当たる。ここを、オールドカイロ観光の終着地点とした。私の疲労度もカイロの暑さもピークに達していたからだ。
太い大きな道路を越えると、非常に広い建物が見えてくる。
時刻は15時になろうかという所。礼拝に訪れる人も多い。
靴を預け、私はそのガーマ・アムルに入場した。一辺の幅が100mを越える巨大な寺院のカーペットに腰を落ち着けると、汗が引くのを待った。
この寺院も世界遺産で、非常に重要な歴史的意義を持つ。
エジプトを征服した指揮官によって640年に建てられたこのガーマは、エジプトないし北アフリカにおいて最古のイスラム系モスクと言われている。
現在の建物は13世紀に再建されたものだが、カイロ市内でも最大規模を誇るモスクである。
カイロの喧騒から隔離されたここではゆったりとした時間が流れていた。
だだっぴろい中庭の日陰には、ぽつりぽつりと人が点在し、瞑想にふける人、おしゃべりに興じる人、読書をしている人、のんびりとしている私のような人もいた。
喧騒とカオスの街カイロにおいて、ここには確かに秩序と調和があった。図らずもカオスとコスモを同時に味わった私は、モスクの日陰でゆっくりと体力を回復すると、大通りでタクシーを止め、シタデルに向かった。
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