目指すは北、試練の峠越え。ヴィエンチャンからルアンパバーンへ。
目指すは北
パークセーからの寝台バスは順調に運行しているようだった。6時半に目が覚めて以降も二度寝をしたり、うとうとしながらラオスの朝を満喫していた。
ヴィエンチャンの街に近づくにつれて途中で降りる人も増え、だんだんとバス内の人口密度が減っていった。車の数も増え、渋滞につかまりながらもバスはヴィエンチャンの市内を目指して進む。
天気はどんよりとした曇り空。この先の良くない旅路を連想させる。
動いたり止まったりを繰り返し、のろのろと走っていたバスは本来の予定時刻から遅れること1時間半、9時半に南行きバスターミナルに到着した。
ヴィエンチャンから南方面のバスが発着するターミナル。
夜は気づかなかったが、結構派手な色のバスだったようだ。
さて、ラオスにはあと二か所の世界遺産、”古都ルアンパバーン“と”ジャール平原“がある。どちらもラオス北部で、ここからバスで8時間以上の距離にあるという。どちらに行くにしても、一日がかりの移動だった。問題はどちらに先に行くか、である。
アクセスの悪いジャール平原のある街、シェーンクワンは、ここヴィエンチャンから行く方がおそらく楽なのだろう、と思って南バスターミナルをさまよってバスを探したが、見つからなかった。それどころか、ルアンパバーン行きのバスもなかった。
ここはラオスの南部に向けたバスの発着所だったようだ。
とりあえず、ここにいても何も進展はなさそうなので、北バスターミナルへ移動することにした。
バスターミナルの前でバイクタクシーを拾い、バイクにまたがった。そんなに距離は無いだろうと甘く見積もっていたが、実際20分くらいの距離があった。
南→北バスターミナル間の移動は首都だというのに殺風景な道をひたすら進んだ。
バイクタクシーのお兄さん曰く、ルアンパバーンへは日中のバスが、ポーンサワンへは、昨晩のようなスリーピングバスが運行しているということだった。
考えた結果私はルアンパバーンを目指すことにした。理由は3つ。一つは、スリーピングバスを待つ間、このヴィエンチャンでやりたいことが無かったから。もう一つは、2日連続のバス泊はできれば避けたかった。そして最後の一つは、ルアンパバーンに日中のバスで移動できれば、宿泊して翌日、早朝の托鉢が見られると思ったからだ。
貴重な情報を得て、北バスターミナルに着いた。時刻は10時半を過ぎていた。
待ちぼうけ
北バスターミナルに着くと、そのターミナルを取り仕切る係員みたいな人が、行先を訪ねてきた。ルアンパバーンだ、と言うと、
おい、急げ!!今、バンに乗っているところだ!走れ!
と、言われ、わけもわからず走らされた。
案内されたバンは、今まさにルアンパバーンに向かう人々を乗せていた。
このまま、バンに乗ってトントン拍子にルアンパバーンに行けるのか?ラッキー!と自分の運の良さを喜ぼうとしたが、そううまくはいかなかった。
定員オーバーで、この便はもう乗せられないよ、、
そのバンのチケットを管理していたおばさんはとても残念そうな口調で、そのようなことをつぶやいた。私が見つめる目の前で、ぎゅうぎゅう詰めのそのバンは、高らかにエンジン音を響かせて去っていった。
私はルアンパバーン行きと書かれた看板の下で、待ちぼうけを食った。
次の便は何時の出発なのか、人に聞いてもあいまいな返事しか返ってこなかった。どうやら、ルアンパバーンに行く人数が集まってきたら出発、という感じのようだった。
そうなると、困ったもので、このバスターミナルをむやみに離れて探索しに行くわけにもいかない。私がいない間にバンが行ってしまっては元も子もないからだ。
首都のバスターミナルだというのに、見事に何もなかった。
レストランが一軒あったが、なぜかメニューはベトナムフォー1種類のみという、とんでもない仕様だった。
うろうろするのも飽き、リュックを枕にして昼寝をしたり、スマホで時間をつぶし、待つこと3時間。ようやくルアンパバーン行きのバンに人が集まり、13時半にヴィエンチャンを出発した。
試練の峠越え
ヴィエンチャンからルアンパバーンはバスで8時間かかるという情報が多かった。ただ、近年はヴィエンチャン-バンビエン間に高速道路が開通し、少し早く行ける、との情報もあった。私は、地図上では全然距離が近いのに、なんでそんなに時間がかかるのか、不思議で仕方がなかったが、その理由はあとでたっぷりと思い知らされることになった。
まず、そもそもヴィエンチャンから出るのにそこそこ時間を取られた。雨季のラオスは大雨により道路のコンディションが著しく悪い。泥道をぐらんぐらんと揺れながら、牛歩のごとく前進した。
ラオスの首都の、そこそこ大きな通りも、酷い泥道と化していた。
途中でどんどん人を乗せていき、あっという間に満席になった。ヴィエンチャンから5歳くらいの男の子と、おじいちゃんの組み合わせで乗ってきた2人が、私の中で気になっていた。
男の子はバンが走り出すとすぐに横になって寝てしまい、おじいさんは車窓とその子の寝顔をしばらく交互に眺めていた。
高速道路に乗ってからバンビエンまでは比較的早く着いたと思う。一度トイレ休憩があったのは、ヴィエンチャンから2時間が経過したころだった。
雨が降り、日も傾いてきた。バンは山道を蛇行していく。
バンビエンは想像よりも何もない街だった。地球の歩き方ではページをもらえるほどの大層な扱われ方だったが、バンビエンのバスターミナルはトタン屋根の小さな待合所だったし、市内も随分殺風景だった。
バンビエンのバスターミナル付近。山間の村だ。
バンビエンを出発してからが長かった。地図上では本当にたいした距離ではないのだが、道は狭く、くねくねとした山道なのでスピードを出すこともできない。雨季のためか道路状況も良くなく、乗り心地は最悪だった。
バンビエンから乗ってきた4歳くらいの女の子は、乗ってから20分後にはグロッキー状態になり、しばらくの間ビニール袋を両手に、胃の中の物を吐き出していた。
1時間たっても2時間たってもGPS上の距離は全然縮まらなかった。山の中なので特段景色が面白いわけでもなく、電波が届かないのでスマホで暇つぶしをすることもできない。
乗り心地の悪すぎるワゴンに揺られながら、ひたすら時が過ぎるのを待った。19時ころに夕ご飯の休憩があった。私は食欲が失せに失せて何も食べる気が起きず、適当な菓子を買って予備食料にあてた。
外が暗くなると車窓を楽しむこともできなくなったので、私は無理やり寝ることにした。私もグロッキーに近い状態だった。
眠らない街
ルアンパバーンの薄暗いバスターミナルに着いたのは、22時だった。
ヴィエンチャンの出発から8時間半、バンビエンからは6時間だった。一日がかりの大移動は、今までのバスの中で一番と言っていいほど疲れた。ラオスのバス移動は全くもっておすすめできない。
ヴィエンチャンから乗ってきたおじいちゃんと男の子は、この過酷なバス移動を私と一緒に最後までやり遂げた。2人の背中を見送りながら、彼らがどういう事情があってこのバスに乗っていたのか、少し気になった。
私は、バスターミナルを出ると市内中心部に向かって歩き出した。疲労と車酔いでふらふらになりながら今夜の宿を探す。
夜のルアンパバーンで残っていた写真はこの1枚だけ。当時の疲労困憊ぶりだけが分かる。
初めて来た世界遺産の街、ルアンパバーンは、あまり好きになれなかった。そこかしこに若者向けのバーがオープンしており、街には大音量が響くクラブも多かった。
ルアンパバーンは人気の観光地で物価も安く、海外からの観光客が沈没しやすい街であることは知っていたが、若者向けに開拓されすぎているような気がした。
アルコールで弾む若者の声、道路まで響くクラブのダンスミュージック、煌々と輝くネオン。私の想像していた、厳かな仏教の街、ルアンパバーンのイメージとはかけ離れていた。
小雨が降ってきたこともあり、私は1件のゲストハウスを見つけると、すぐに部屋を借りた。そして、シャワーで2日分の汗を流し、ふかふかのベッドに横になった。
今夜はドミトリーではなく、1人部屋にした。前日の寝台バスを合わせると24時間を超える長旅は流石に堪えた。目が疲れ、腰も悲鳴を上げていた。
今夜は一人で寝たかった。
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