ヒリ遺跡公園とUAE・オマーン国境を徒歩で越えようとした話。
2日目、アラビア半島での冒険。
アルアインの大まかな位置関係を示す。
世界遺産、ヒリ遺跡公園
Googlemapを見てみると、私が降り立った荒野の近くに、もう一つ世界遺産を示すピンが立っていた。“Hili Archaeological Park”と書いてある。
幸いにも私を乗せてきたタクシーがまだ止まっていてくれたので、私は再びタクシーに乗り込み、そこに向かうことにした。
時間にして5分ほどだった。幹線道路から離れた場所にある、大きな公園のゲート前に私を降ろすと、タクシーはさっそうと走り去った。
今度はしっかりした遺跡公園のようだ。
このヒリ遺跡公園は紀元前2500年から2000年にかけての青銅器時代の遺物を多数含む場所であり、アラビア半島に暮らした砂漠の民の痕跡を知ることができる。ただ、アルアイン市内からは車で20分くらいの場所にあり、バスも本数が少なく微妙なのでアクセスは非常に悪い。
公園は広く、各所に遺跡が点在しているような形になっている。
こちらが、ヒリ遺跡のメインとなる展示。上からだと見どころが分からない、、
遺跡の発掘調査は1950年代から1960年代にかけて開始され、古代の住居、墓、灌漑システムなどの考古学的発見があったのだそうだ。今見てもどうやら発掘の跡は見られるのだが、大部分がこんもりとした山になっている他はさして見ごたえが無い。
こちらはアフラジ、灌漑水路の跡とされる部分。さきほどのオアシスの原型だ。
先史時代の考古学遺跡に関する世界遺産はこれまでいろいろな国で見てきたが、どれもアクセスが不便で、また見ごたえが全くと言っていいほど無く、人気が無い。そして、それゆえ誰も行かないから情報が無く、情報が無いから行けないという悪循環に陥っている。
ちなみに、この広大なヒリ遺跡公園は入場無料だが観光客と思しき人はついぞ見かけるとが無かった。清掃員が3人程気怠そうに掃除をしたり、日陰でさぼったり、思い思いに過ごしていた。
こちらがヒリ遺跡のメインとなる構造物。青銅器時代の遺物だが、復元だ。
さすがに2000年前の青銅器時代の遺構となるとなかなか残っているものも少ないが、それでも灌漑施設の跡や埋葬の形跡など、ところどころ見られる遺構には砂漠の民特有のものを感じ、来てよかったと思った。それはまさに、ドバイやアブダビのイメージからは程遠い、アラブの昔の姿であった。
建物の陰で涼んでいた猫。清掃員に良くしてもらっているのだろう。
UAE・オマーン国境にて
ヒリ遺跡公園を出た私は、次の一手を決めかねていた。アルアインは国境がある街で、うまくいけばオマーンへそのまま入国できる可能性がある。
ところが、このアルアイン国境を超える旅人の手記がほとんど無く、徒歩で越えられるのかさっぱりわからない。情報が無さ過ぎるのだ。
まあ、まずは国境に行ってみてから決めよう、と思った。時刻は夕方15時ごろだった。
ヒリ遺跡公園には車一台止まっておらず、大通りまで歩いて戻ってきた。
アルアインの公共交通手段が壊滅的なだけなのか、このヒリ遺跡公園の立地が悪いのかはわからないが、タクシーもバスも通りがかることは無かった。国境方面に歩きながらもタクシーが通り過ぎるのを待ったが、来ない。車が猛スピードで走り去る他は何もない通りだった。
・・・・・・
・・
汗をかき続け、手持ちの水も飲みつくしてしまった。ひたすら南の国境を目指して歩いていると、不意に一台の車が路肩に停車した。陽気なおじさんだった。
“こんな何もない場所で何をしているんだい?暑くて危ないから途中まで乗っていきなよ”
私という迷える子羊を拾ったその聖人、アフマッドは、パレスチナ出身だと言っていた。とにかく目立つことが好きなのだそうで、GoProと一眼レフをひっさげた私をインフルエンサーだと思ったらしい。おじさんの期待するような影響力もカリスマ性も私にはないが、ご厚意に甘えて国境近くまで送っていただくことになった。
あのまま歩き続けていたら、脱水症状と悪化する体調で本格的にぶっ倒れていた可能性すらある。困ったときにこうして手を差し伸べてくれる人は本当にかっこいい。
国境沿いの道に出ると、物々しいフェンスが2つの国を区切っていた。“昔はこんなものなかったんだぜ。”そういったアフマッドの悲しそうな横顔がやけに印象に残った。
彼は途中で冷たい水までおごってくれた。キンキンに冷えた飲み物と温かい優しさが沁みた。
写真、使ってくれよな!と言われたので私とアフマッド。国境の前にて。
写真の私の顔からも分かる通り、私は疲れ切っていたのだろう。暑さで消耗していたのもあるが、体調がすこぶる悪かった。それでもこうしてご厚意で乗せてくれたアフマッドに何度も感謝の意を述べ、頭を下げた。別れ際に、
“徒歩で行けるのかは知らないが、無事、国境を越えられるといいよな!!”
と言い残すと、彼の車はさっそうと私の前から走り去った。
さて、アルアイン国境である。この門の先は隣国、オマーンだ。
国境のゲートを何台もの車が、ひっきりなしにオマーン方面に向かって流れていく。だが、徒歩で行こうとするものは一人も見当たらなかった。私は深呼吸をして気合を入れなおすと、国境に近づいた。
ゲートの横の小さな駐車場の奥に、PEDESTRIANS GATE(歩行者用ゲート)、DEPARTURES(出国)の青い看板が見えた。
ここが、徒歩でオマーンに抜ける施設なのか。この先は別の国と思うと夢があった。
小さな小屋のDEPERTURESと書かれたドア、そのドアノブに手をかけた私は、熱を帯びたその取っ手に驚いて慌てて手を放し、後ずさりした。そしてタオルを取り出し、その灼熱のドアノブを包んで、もう一度そのドアノブを握りなおすと、何度もひねりドアを開けようとした。
が、ドアは開かなかった。
ファラオの呪い
ドアは開かないどころか、しばらく使われていないということが分かった。ドア枠には埃が積もっており、長らく開閉されていないことが分かる。
しばらくの間その小屋を観察したが、人の気配は全くなかった。係員の気配も、旅人の気配も無かった。仕方が無いので人が居そうな車用のゲートの方に移動した。
この間も車はどんどんオマーン方面に向かって吸い込まれていく。
歩道を歩いていくと、2人の国境警備兵に止められた。そこでようやく、アルアインのUAE・オマーン国境について聞かされた。
まず、ここは車のみが通過できる国境で、徒歩では出入国ができないということだった。徒歩の国境もアルアインの東側30km、かなり離れた位置に移動してしまったらしい。
では、どうすれば越えられるのかというと、1日1便、昼の12時ごろアルアインの中央バスターミナルから出る、オマーンの首都、マスカット行きのバスに乗る手段しかないとのことだった。
つまり、何とかしてここから30km東の国境に向かう他、この日オマーンに入る術は無いということだ。私にはもう”何とかする”元気は残っていなかった。これまでの道中でスタミナを使いすぎていたのだ。ヒッチハイクも、タクシーを使う潤沢な資金もない。また国境を越えたとして、首都のマスカットまで行く手段が不透明でもあった。
あきらめて国境ゲートを引き返すと、モールの前のバス停に列ができ始めていた。バスが来るのだろうか。その人の流れに倣うように私も並ぶと、ほどなくしてアルアイン市内に向かうバスが来た。
30分ほど揺られると、アルアインのバスターミナルに戻ってきた。バスの中で私は次第にのどが痛くなり、かすれ声になっている自分に気が付いた。これは本格的な体調不良だった。
アルアイン・バスターミナルでマスカット行きのバスの時刻を調べると、13時30分発ということが分かった。アルアインで半日も足止めを食らうのか。マスカットに向かう時間も加味すると移動だけで1日無駄になる計算だ。この町でどう時間をつぶそうか、、、
・・
難しいことを考えようとすると激しい頭痛が襲ってきた。前2日間機内泊で十分な睡眠がとれていないためか、昨日飲んだエジプトの生水の影響か、はたまたピラミッド内部に入った際のファラオの呪いのせいか、、、鼻水も出はじめた。風邪に近い症状だった。
バスターミナルからさほど離れていない場所に、UAEにしては手ごろな値段のホテルを見つけた。チェックインを手早く済ませると、シャワーを浴びて汗を流し、着替えてベッドに飛び込んだ。外はまだ明るかったが、私は枕に顔をうずめた。
実に3日ぶりのベッドだった。
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