静かな森の遺跡、世界遺産サンボー・プレイ・クック
シナトの一件
ホーチミンを出発したアンコールエアラインは席の半分も埋まらず、空席が目立っていた。窓の外の眺めを楽しむ暇もなく、カンボジアの首都、プノンペンに到着した。
事前に在日カンボジア大使館でビザを取得していたので、アライバルビザの列に並ぶこともなく、入国ゲートも列は無かった。9時半には無事、カンボジアへの入国が完了した。
外に出ると、東南アジアらしい独特のにおいと、からっとした暑さに包まれる。
出口の横にあるATMでカンボジアで使うUSドルを少し準備した。
10時には冒険の準備が整った。この日目指すのは、ここから車で3時間の距離にある世界遺産、”サンボー・プレイ・クックの寺院地区、古代イーシャーナプラの考古遺跡“だ。長いので以後サンボー・プレイ・クックと表記する。
クメール語で”豊かな杜の寺院“という素敵な名前を持つこの寺院群は、あのアンコール遺跡群よりさらに歴史の古い世界遺産なのである。
プノンペン国際空港は街の中心部に近いためぼったくりがそこまで居ないのが特徴だという。私は、エアポートタクシーの制服を着たおじさんに声を掛けられ、サンボー・プレイ・クックに行きたいと伝えた。
彼は、私は2回もサンボー・プレイ・クックに行ったことがある、と自信満々に言った。なんと50ドルでサンボー・プレイ・クックとプノンペンを往復してくれると言う。相場の3分の1ほどの価格に魅力を感じてついていった彼の車を見て驚いた。
彼は、トライクルのドライバーだったのだ。
冷静に考えるとこんなもので200kmも北にある寺院には何時間たっても行けはしないのだが、この時の私は連勤や機内泊といった疲れや、久しぶりの海外旅行から判断力が著しく鈍っており、素直にそれに乗ってしまった。
トライクルで走る久々の東南アジアはとても気持ちよかった。
土埃が舞うプノンペンの街をトライクルで駆けるのは爽快。
彼は名前をシナトと言った。彼は迷うことなくプノンペンの道を走っていく。しかし、30分経ってもプノンペンの街を出ることはなかった。さらに悪いことに、GPSを見るとサンボー・プレイ・クックとは逆の南の方向に向かっているように見えた。
彼は自信満々に南の方角に進んで行くのだが、その方角にサンボー・プレイ・クックは無かった。何かおかしいから1回止まれ、地図を見ろと強く言ったが、あと少しあと5kmと彼は譲らなかった。
路肩に止めさせ、地図を見させても彼はこの方向だと、行ったことがあるから大丈夫だと聞く耳を持たない。あと3分走って何もなかったら俺は降りるぞ、と約束して再び走り出してから5分が過ぎた。
相変わらず世界遺産と逆方向に走り続けるシナトにさすがに呆れ、俺はもう他のドライバーを探す。お前はBAD・ドライバーだ。と言い放ち外に降りた。
ようやく聞く耳を持ったシナトは、そこで自分のスマホの地図を確認しだした。サンボー・プレイ・クックまでの時間は彼のスマホに4時間と表示された。シナトは何度も端末を操作して確認したが、そこに表示された時間と距離は決して変わらなかった。
彼は自分の勘違いに気づき、プノンペン市内まで送っていく、すまなかったと何度も謝った。その申し訳なさそうな顔と口調は演技には見えなかったので、逆方向に進んでいたのは悪意からではなく、本当の勘違いだったようだ。ただ、こちらは2度も引き返せ、地図を確認しろと声を上げたのに止まらなかったのは事実だ。
確かに何もない農道でここからサンボー・プレイ・クックに行くタクシーを拾うのも至難の業だったので素直にシナトとプノンペンに戻ることにした。彼は運転しながらタクシーの友人に電話をかけ、サンボー・プレイ・クックに行ける人を探してくれ、電話を替わってくれた。
カンボジアでもガソリンが高騰しているので、2023年時点でタクシーの一日チャーターは150ドルが相場と聞いていた。電話の相手は250ドルだと吹っ掛けてきたが、粘った結果180ドルで行ってくれることになった。シナトの一件でもう時間はお昼近くになっていたし、今から往復すると帰りは夜遅くなってしまうから仕方がなかった。
そのドライバーとうまく合流し、シナトには5ドルを支払った。ガソリン代のつもりだ。彼は最後まで申し訳なさそうな顔を浮かべ何度も謝っていた。やがてシナトのトライクルはプノンペンの砂埃の中に消え、見えなくなった。時刻は11時半になろうとしていた。
車の中はエアコンも効き、砂埃もないので快適だった。
車はプノンペン市内を走っていたが、都市を抜け郊外に入ると飛ぶように進んで行った。シナトの一件でまた違う場所に連れていかれるのか心配だったが、今度はきちんと北上していた。私がGPSを表示して握りしめているのに気付いたドライバーは、今度はちゃんと向かっているだろ?と笑いながら言った。
プノンペンを出て1時間半ほど経ったころ、一度休憩があった。カンボジアではガソリンスタンドがサービスエリアのような役割を果たしており、飲食店やトイレが併設されていることが多い。
カンボジアのトイレ、、は掃除も行き届いており、日本と変わらずきれいだ。
順調にサンボー・プレイ・クックへの距離が縮んでいくことを確認した私は、12連勤や機内泊、ホーチミンでの全力疾走、シナトの一件とたまりにたまった疲れを癒すように、助手席に深く埋もれた。
・・・
杜の中の遺跡
時刻は14時半を回っていた。プノンペンで車に乗ってから3時間だ。GPSを見ると寝ている間にかなり進んだようだった。
サンボー・プレイ・クックに最も近い街、カンポットンに着いた。
最初はここに滞在することも検討していたが、想像よりも何もない街だったので、プノンペンまで戻るルートで正解のようだ。
ようやく世界遺産、サンボー・プレイ・クックの看板が見えた。
ここから道はさらに悪くなり、砂利道泥道を30分ほど進んだ。
15時過ぎ、ようやくサンボー・プレイ・クックのチケット売り場に到着。
チケット売り場はガラガラで、サンボー・プレイ・クック自体にもほとんど観光客はいなかった。チケットは10ドル。簡易マップを渡され、さらにもう少し車で奥に進む。
森の中の遺跡ということで、かなり森の奥に入ってきた印象だった。
ここで車を降り、遺跡を探索することになる。
車を降りると遺跡を巡るガイドの打診があった。サンボー・プレイ・クック自体は結構広く、森の中ということで道に迷いやすいという特徴がある。遺跡専属のガイドが見どころを効率的に回ってくれるというわけだ。閉館が17時半と2時間ほどしかなかったので、10ドルでガイドをお願いした。
ガイドの名前はシンといった。クメールの歴史を深く知ることができたし、彼の英語は聞き取りやすく、分かりやすかった。そして、森の中の遺跡、サンボー・プレイ・クックも素晴らしかった。
サンボー・プレイ・クックのシンボルとも言える、空飛ぶ宮殿が彫られた遺跡。
空飛ぶ宮殿はこの遺跡でもっとも有名なレリーフだが、近くで見ると下段を翼の生えた動物が支え、本当に空を飛んでいる様子がうかがえる。ガイドが教えてくれないと素通りしていたのでとても勉強になった。
グループSの遺跡の中では最も大きな遺跡はシヴァ神を祀ったもの。
森の中にこうした遺跡が点在しているのでサンボー・プレイ・クックと呼ばれている。
ここはあくまで祈りのための遺跡であって、人が住むような住居は見つかっていないのだそうだ。ヒンドゥー教信仰のための巡礼地として古くから使用されてきたという歴史がある。
サイトCに唯一残る中央寺院。現在は修復作業が進められていた。
サイトCはプラサット・タオと呼ばれ、7世紀ごろの建築とされ、遺跡群の中では最も大きな規模を誇るものであったが、戦争等で失われ、祠堂しか残っていないのだそうだ。正面を守る獅子、シンハ像が今にもとびかかろうと前足を浮かせているのがとてもリアルだった。
遺跡群は森の中にあるので、ところどころ迷いそうになる。シンの案内は心強い。
サイトN、プラサット・サンボーの遺跡。最も良く遺跡群が残る地域。
主堂には入れるが、ほとんどの貴重な像は博物館で保管されており、ここにはレプリカが置かれている。
南の遺跡から順にシンと歩いてきて、駐車場に戻ってくると、ドライバーのチャンは一人で勝手に遺跡の写真を撮って楽しんでいるようだった。
駐車場付近には野生のサルがいた。遠目からだがマカクの一種か。
そして、道路を挟んだ反対側にはひときわ存在感を放つ遺跡が見えた。
植物が遺跡を飲み込むような姿をしている。プラサット・チュレイという名前。
木が遺跡を吞むような姿に、生命力の強さを感じた。
こういった遺跡が範囲内に多数点在している。全部見るには2-3日かかる、とシンは言う。
見学時間は全部で1時間半くらいで、メインの遺跡群は見終わった。時刻は16時半。帰るにはちょうどいい時間だった。名残惜しいがシンに別れを告げ、プノンペンに戻る。最後に、ガイドのシンと、ドライバーのチャンと、3人で写真を撮った。この3人がまた会う機会はもう二度とないのだろうが、今日この日は最高の思い出になった。
プノンペンの夜
道を牧牛の群れがのんびり横切る、カンボジアらしい風景。
カンポットンを過ぎるとあとは大きな道をプノンペンに向けて南下するのみ。
たわいもない雑談を交わしながら暮れていくカンボジアの大地を快走していく。チャンは結構な飛ばし屋で、どんどんと道行く車を追い抜いて行った。
ガソリンスタンド休憩をしたころにはすっかり日が暮れていた。
行きよりも気分が楽だったのはすでに世界遺産を訪問するという目標を達成したからというのもあっただろうし、地方の遺跡からプノンペンという大都市に向かうという安心感もあったのだろう。3時間という時間は短く感じた。
ネオンや照明が煌々と輝くカンボジアの首都、プノンペン。19時半に帰ってきた。
首都に近づくと、チャンは奥さんと電話を始めた。チャンの奥さんは最近子供が生まれたのだと言っていた。今は生後4週間だという。そんな大事な時期とも知らず、こんな夜遅くまで拘束して申し訳なかった。
高層ビルも建ち、かなり近代的な都市に感じたプノンペンの夜。
今夜の宿はプノンペン王宮の近く、ワットポトム公園のあたりだった。目的のホテルを見つけるとチャンに子供の分だ、といって少し多めにチップをあげて別れた。チャンも、俺もすごく楽しかった。良い旅をな。と別れ際に言い残して家路を急いだ。
ホテルに荷物を置き腰を落ち着けるとまだ20時だった。せっかくなので夜の空気を吸いにぶらぶらと街を歩いた。
ワットポトム公園。この日は土曜日なので多くの人がこの公園で過ごしていた。
カンボジア、と言われても疑ってしまうようなカラフルなネオンの街。
おしゃれなレストランでは観光客が高そうなお酒を飲んだり、夜景を見ながら談笑していた。私が海外旅行でいつも行くのはそうした華やかなレストランではない。
排気ガスを丸被りするような、路上の屋台が一番味があっていい。
値段も安く、量も多い。さらに、現地の空気を肌で感じながら、彼らの食を体感できる。旅の醍醐味が詰まった屋台飯がいつだって一番だ。結構繁盛していて、バイクで通りかかった人がふらっと立ち寄っては椅子に腰かけ、ぺろりと平らげてまたどこかへ去っていく。そんな光景を眺めながらゆっくりと食べ物を胃に収めると、宿の方へ戻っていった。
21時、まだまだ何かできる時間ではあるのだが、前夜が機内泊だったのもあり、この日はふかふかのベッドで体を休めることにした。
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